情報のアウトプット ── 山下達郎 / RIDE ON TIME2014.6.30
特に書くことも無い毎日を送っております。
「書くことなくても音楽がどうにかしてくれる!」というコンセプトを根本的に無視してるな。
いや、あれですよ。
そうは言っても本当にただ曲を貼り付けてあるだけの更新なんて出来ないですよ。
そうだ。うん。・・・うーん?あり?もしかしてあり?
こないだ、ある友人に電話をかけました。
もうかれこれ1年以上も音沙汰無しの状態だったのですが、その日はたまたまその人の誕生日だったので近況報告も兼ねて連絡したのでした。
久しぶりに話すとネタも尽きず、会話もはずんで楽しかったのですが、途中にこんなことを言われました。
「あかねはアウトプットがほとんど無いから、何してるか分かんなかったよ。Twitterも更新しないし、Facebookもほとんど書かないしね」
もっと自分の情報をアウトプットしろという意味で言われたんじゃない、というのは分かっているのですが、妙にその言葉がひっかかる。
若者の間でネット社会が当たり前になっている今、FacebookやTwitterにまで個人名を明かし、自分の近況をこと細かに書く人が多いです。
もちろん私も両方アカウントを持っていますし、ちょっと前まではそれに依存していると言っていい程更新していたことだってあります。
なのですが、ある時それがなんだかめんどくさくなってしまった。
友人同士で繋がり、お互いの情報を共有し合う。
それが狭いコミュニティであれば、それを逐一チェックしていないと取り残されるという事態。
まるで、クラスメイトで作るLINEのグループの会話みたい。見てないと次の日の会話に乗り遅れる、みたいな。(ありえない)
別に自分が置かれている位置がそういうものだとは思っていませんが、私はそうやってネットに縛られるのがしんどくなってしまって辞めてしまいました。
もちろんTwitterやFacebookを批判しているのではありません。
情報を得るのにはとても便利なものだと思うし、実際に私も何かの最新情報を探すときは大体Twitterで検索をかけたりするし。
かといってそれに束縛されるのは嫌だなあ。
リアルタイムに追えなかったタイムラインをさかのぼるのも当たり前でした、もちろん時間もいっぱい取られる。
今思えばよくそこまで出来た。
一度、縛られていたものから自由になると元の場所に戻るのが億劫になるんですよね。
これからも上手に付き合っていきたい、いや、上手に利用していきたい。
だけど逆に言えば、自分の情報をアウトプットしない人はそこにいる人達から取り残されて忘れられてしまうことだってあります。
相手が元々友達なのでなく、そこで知り合った人だとすれば、の話。
例えばTwitter上で仲良くなった相手とは、それしか交流手段が無い限り、更新を辞めてしまえば仲が消滅してしまうことが大半だと思います。
なんだかそれって、変なの。
そういったコミュニティツールって、友達を増やそう!というのが一応のウリだと思うのですが、実際のところはそこから一歩踏み出さないと友達にはなれないんですよねきっと。
一緒にライブなり映画なり、仲良くなったきっかけのものをリアルに共有する、要するに会ってみないことには結局はその箱の中だけの”話し相手”のまま。
自分が何が目的でそのコミュニティツールを使用しているかにもよりますが、結局のところ本当に「友達を作りたい」と思ってしている人はごく僅かなんだろうな。
何を書きたいのか分からなくなってきたので終わります。
ビールのせいで頭がグルグルしてきた。
最近は山下達郎のレコードばかり聴いている。
http://youtu.be/qjRVEocI0uU