羊毛とおはな / My Favorite Things2013.7.1
「京都文化芸術コア・ネットワーク」の創立総会に参加してきました。
これは、京都で文化芸術を支える専門活動をする人々のハブになりたい、という目的の京都市の新しい試みです。
京都で活動する様々な団体様のプレゼンテーションや、今後のコア・ネットワークの課題や可能性についてのディスカッションなどが行われ、新しい出会いや発見の場となっていました。
私も、今まで知らなかったことを悔やんでしまうような活動が沢山知ることができ、それだけでも行った甲斐があったと思います。
音読も、田中さんと土門さんが素敵なプレゼンテーションを行ってくださいました。
これでまた新しい方、それも京都でカルチャー活動を行っている方々に音読のことを知ってもらえたのだと思うと非常に嬉しく、改めてこういう交流の場は重要なのだと感じさせられます。
この総会の後半、私はひとつのディスカッションを拝見していました。
テーマは「コア・ネットワークを活用したプロジェクトの可能性」。
その中でひとつ、興味深い意見があったので、今日はそれについて少し書きたいと思います。
議論はちょうど、どのようにこの活動を広げてゆくのか、という話題。
司会の方が「外の人々」という表現を使われた時、1人のスピーカーの方が「内と外という概念をすること自体が間違っている。むしろ、強いて言うなら私達は外側の人間であるべきだ」と仰ったのです。
実際、この総会を通して「外に発信する」というフレーズが多用されていたように思います。表現者が内側におり、その活動を外側にいる人々に向けて提供する、そのような考え方が一般的になっているのも事実です。
だけど確かに、これだと外にいる人が内側に来てくれるのを待っているだけのようにも見えます。
円は広がることしか出来ません。
この位置関係を円だとすれば、内側である表現者は広がる外側と距離が出来てしまうだけ。
しかし、これを逆に考えてみればどうでしょう。
表現者はあらゆる活動をもって、円をどんどん広げてゆけます。そして内側の人々(ここで言うとお客さんなど)が外の世界に出てくる、と考えた方がスムーズであり、可能性にも大いに期待出来ます。
この考え方は私にとって目から鱗で、とても頭に残るものでした。
これは別に文化や芸術だけに限ったことでは無いですし、もっと他の考えかただって沢山あると思います。
ただ、こうやってひとつの物事を視点を変えて見てみることの大事さを学ぶことが出来ました。
一歩外に出てみれば、たくさんの文化芸術が溢れている京都。
2色の絵の具が混じって滲んでゆくように、時間の経過と共に内側外側といった区切りも曖昧なものになってゆけばいいな、そんなことを思います。
京都といえば、この曲。
今日は、羊毛とおはなによる素敵なカバーを貼り付けたいと思います。
コア・ネットワークのHPにも是非足を運んでみて下さい。
今後、この新しい試みが京都の文化芸術活動を活発化させてくれることを心から願っております。
京都コア・ネットワーク
http://kyoto-artbox.jp/kacn/concept/