びじゅつの先生 ── Spangle Call Lilli Line / dreamer2013.10.2
2001年から活動を始めたSpangle call Lilli Line。
浮遊感のあるボーカルの声と、どこか気怠そうなサウンド。
ポップのような、ロックのような、シューゲイザーのようななんとも言い難い彼らの楽曲は、いつの間にか聴くものに取り憑いてしまう魔力のようなものを持っていると思います。
美術大学時代のメンバーにより結成されたこのバンドは今までに14枚のアルバムを発表しています。
シングルという形では2枚しか出したことが無く、この曲はセカンドシングルとして2010年に出されました。
プロデュースは相対性理論の永井聖一、理論特有のほわほわしたギターの感じがそのまま出ていますね。
しかしアルバムを9枚出していながらのセカンドシングル、なんだか不思議です。
生きる上で明確な目標を持っている人は何パーセントいるのでしょう。
そしてさらに、その中の何パーセントの人がそれを仕事にしているのでしょう。
小さな頃からずっと、なりたい夢がありました。
卒業文集での自己紹介や、よくある友達同士で交換するプロフィール帳のようなものにある『将来の夢』という項目。
そこに書いていたもの、それは美術の先生。
きっかけは単純で、幼稚園だか小学校の低学年だか忘れたけどそれくらいの時期に絵を描くと必ずと言っていい程褒められていたから。
もちろん絵を描くのは好きだったし、デザインを決めたりぬりえに色を塗ったりするのも好き。
小学生の頃はずっと休み時間には自由帳に絵を描いて遊ぶという、クラスに必ずひとつは存在していたであろう、俗に言う「暗い」グループに属していました。
それは中学生の途中まで続きますが、徐々に「クラスのリーダー格のグループにハぶられたくない」という気持ちから学校で絵を描くことは無くなって行くことに。
家では自由帳を開いて絵を描いていましたがそれを公言することは無く、完全なる自己満足。
学校では周りに合わせて先生に反発してみるものの、根は真面目だったために成績は良いという中途半端。
「ハぶられたくない」という意思の元に飛び込んだグループの中でも「どうせあかねちゃんは成績良いし」という意味の分からない理由で仲間に入れてもらえないことも多々。
「なんだ?バカでいることがステイタスなのか?」と徐々に心がひねくれていく椎名あかね、15歳。
周りの目を気にせず絵を書き続けていた昔の友達はお互いに評価し合うせいなのかみるみるうちに腕を上げて行き、内心とても羨ましかったけれど時すでに遅し。
最後の方はもうヤケクソ、自分の取り柄は勉強しかないんだ、ととりあえず勉強だけしていました。
そんなあまり思い出したくない中学生時代。
(おかげさまで地元には連絡を取っている友達はいない)
地元を抜け出したくて進んだ市内の進学校。
グループに属すということへの恐怖感から、広く浅くの交友関係。
「高校では部活は禁止、勉強しろ」という厳しい親の言う通りに過ごし、卒業したら四大に進学するというのが当たり前だと思っていました。
今思うと完全に一種の洗脳のようですが。
その頃にはもう絵を描くことも無くなり、美術の先生になるという夢もすっかりと忘れていました。
そんなスキルなんて無い、そもそも現実的ではない、そう思ったのです。
あの時の私にとっての「現実的」とはどういったものだったのか。
普通に4年で大学を出て、周りに合わせて就職活動をし、そこそこの会社に勤める、それが私にとっての「現実的」だったのでしょう。
夢を叶えるためにその道を外れる、そんなことは言語道断、それ以前に自分はそんなことをする勇気なんて無いと思っていました。
しかし、本当に人生何が起こるか分からない。
どうやら思っていたよりも私は不真面目でクズな性格をしていたようで、親の期待するような大学にも行けず、しかも4年で卒業出来ずに就職もしないという、本来思っていた道を脱線しまくっているのが今です。
理由が何であれ、大学を4年で卒業出来ないと分かった途端に色々なことに対して開き直ってしまった模様。
一度きりの人生は自分のもの、道はひとつではないんだ、初めは自分を正当化する為にそう思っていました。
しかしなんだかんだでそれも間違いではないのでは?そう思えるようになったのが23歳。
遅かった、だけどそれに気付くことが出来て良かった。
脱線して止まっていた、そう思っていたけれど実は違う道を進んでいただけなんだ、そう思うしかない。
まだまだ悩んで道をそれてしまうことだって沢山あると思う、だけどそれでも少しづつ前進している、誰だってそう。
〇〇になりたい!という目標がある人は幸せだ、ずっとそう思っていました。
もちろん今でもそう思う時はあります。
だけどこうやって、色々なことに挑戦して自分の可能性を探って進む道だっていいじゃない。
文句を言っても決めたのは私、立ち止まったとしても後退はしない、あがいても前進あるのみなのです。
私の夢はもう美術の先生ではないけれど、純粋に夢を持てたあの時の気持ちをもう一度思い出したいです。
今日偶然にも昔のプロフィール帳を見つけたので、こんなことを思いました。