便利な機械と人の頭 ── avengers in sci-fi / NAYUTANIZED2013.11.7
今日は、以前にチラッと話した友人に会って来ました。
夕方に京都駅で待ち合わせ。
友人の仕事が終わり次第で連絡を取り合って合流、ということになっていました。
が。
iPhone忘れました。
気付いたら時既に遅し、もうとっくに電車の中です。
せめてどこで集合くらい決めておけば良かった・・・。
しかしもう焦ってもしかたありません。
駅についてから公衆電話を使おう、そう思って財布の中のテレフォンカードを確認。こういう時があるから捨てられない。
そして京都駅。
電車から降りて一目散に公衆電話の元へ。
目立つ場所に置いてあることもあり、なんだかちょっと人の視線を感じる。
今時、公衆電話を使っている若者って「携帯を忘れました!」って公言してるようなもんです。ああ恥ずかしい。
受話器を取ってテレフォンカードを入れる。度数残り30。よしよし。
だけどここで重大なことに気付くのです。
電話番号が分からないじゃないか。
私はバカか。だから困っているんじゃないか。呆れて静かに受話器を降ろす。
携帯電話を日常的に使っていると、なんだか電話に向かうだけで相手に電話をかけられるって思ってしまう。
こんなに文明が発達している世の中なのに、たった11桁の数字が分からないだけで、こうも途方にくれてしまうのですよ。
普段から、連絡手段をいかに携帯電話に頼っているのかが分かりますね。
ほんの10年前くらい、まだ携帯電話が普及していない頃。
友達と遊ぶときは『何時にどこ』という口約束だけで成り立っていた待ち合わせ。
もちろん遅刻なんて出来ません、だって相手に遅れるということを伝えられないから待ちぼうけにさせるハメになりますから。
それが今ではたった1通のメールだけでそれを伝えることが可能です。
これってある意味、遅刻しやすくなっているとも言える。
私もしてしまいます、10分15分の遅刻。気の置けない友人相手だと、ちょっとくらい大丈夫か、なんて思ってしまう時だって。(ごめんなさい)
もしそれが携帯電話の無い時代だったとしたら、私は同じ事をするのかな。
別に携帯電話が無くても生きては行けるけれど、それを不便だと感じてしまうのは仕方ないことです。
便利なものは、一度手にしてしまうともう手放せなくなるものだから。
だけど、それがあるからってそればかりに頼るのは嫌だなあ。
たとえ出先であっても携帯で何でもすぐに調べられるからといって、自分の頭に知識を入れることはやめたくない。
便利な機械のおかげで自分の頭が馬鹿になっていくのなんて、なんだか元も子もない気がしますしね。
ちなみに友人とは改札を出た時に奇跡的に出くわしましたとさ。
プレゼントも喜んでくれて良かったです。