親と子 ── FISHMANS / ナイトクルージング2014.1.25
http://youtu.be/9k_gM_WNzwM
子供の頃、両親の喧嘩というものは何よりも怖いものであった。
言い争いが起きると毎回、私と弟は意味も分からず泣き叫んでいたのを今でも鮮明に覚えている。
普段私たちを叱る時に見せる表情はそこには無く、大人の事情という名の得体の知れない空気感にただただ恐怖を感じていた。
母親はもうやめてと泣き叫ぶ私たちを見るといつも「あなた達が泣く理由なんて無いよ」と宥めてくれた。
意識していた訳ではないけれど、とりあえず泣き叫んでいれば両親の気がこちらに向くので一時的にでも喧嘩を止められるということを学習していたのだろう。
それが中学生くらいの年齢になると泣き叫ぶことに少しの羞恥心を感じるようになる。
しかし両親の喧嘩に対する恐怖感が薄れていた訳ではないので、どうすればあれを止められるだろうかと試行錯誤した結果、階段の中腹から転がり落ちて来たフリをするためにわざと足を踏み外したことだってある。
とりあえず2人の意識をこちらに向けてあの空気を壊したい、その一心だった。
親はいつまでも親だ。
年齢の差が縮まることも、人生における経験値が追いつくことは無い。
大人になったらあの喧嘩の空気感を理解することが出来るのだろうかと思っていた、だけど24歳になった今でも両親の不仲に慣れることはない。
今日、久しぶりに両親のそれに巻き込まれた。
もう大丈夫だろうと思っていたけれど、やっぱりとても辛く、悲しかった。
どうして私が、そんな愚痴を言っても何も変わらない、だけれど挟まれてしまっては逃げることも出来ない、これはもう自分の使命なのだと言い聞かせて私に求められている役割を理想通りにこなすだけ。
そんなこんなで無駄に承認欲求と褒められたい願望だけが強くなってしまったのだと思う。
私もいつか、自分の子供を持つ時が来るのだろう。
おかげさまで結婚というものに夢も希望も感じなくなってしまったが、そういう訳にも行かない。
だからこそ、ここは両親を反面教師だと考えて自分なりに色んなことを学び、吸収させてもらっている。
自分の子供には絶対に同じ思いをさせたくない、喧嘩だって、目の前でしない。
あの得体のしれない恐怖感、自分を寄せ付けない「大人」の空気、当時の私と同じ思いをさせたくない。
そしていつかその経験で感じたことを、笑いながら子供に話してやりたいと思う。
お父さん、お母さん、私はいつまでもあなた達の娘です。