寝返り半、あるいは買い物についての考察2012.5.17
あおむけに寝かせてちょっと目を離していたら、こんなん↑なっていました。
これがいわゆる寝返りというやつか…
でもこれ以上進むことも退くこともできないれんたろう。
じっと、ただじっと、この姿勢のまま時間が過ぎていきます。
れんたろう?
「…」
まあいいかと放っておいたら、
数分後「ぅんにゃぁー」と泣き始めたのでもとの仰向けに戻してあげました。
教えてないのに寝返りをうつっていうのは、
教えてないのにおっぱいの飲み方を知ってるのと同じくらい不思議だ。
どんどんできることが増えていくので、
わたしたち大人にも、まだ何か可能性があるのかなあなどと考えてしまいます。
頭で立つとか。
それ以外思いつかないけど。
考えてしまうと言えばもうひとつ。
今日はマドラグでお茶をして、
その後予防接種を受けたんですが、
帰りに三条商店街にあるさらさ御供焼菓子工房で友達へのお土産を買って、
panscapeで全粒粉食パンを買いました。
今日は好きなお店ばかりに行ったなあ、と家に帰ってきて思いました。
最近思うんですけど、
お金ってほとんど毎日使いますよね。
そのお金ですけどね、最近はそれを、
ちゃんと好きなお店で使いたいなと思うんです。
パンなんてコンビニでも売ってますけど、
ちゃんと好きなパン屋で買うという、そういうことです。
そうしたらそのお店はますます豊かなお店になって、
閉店の危機から遠ざかることができたり、
そこで働く人たちの給料が増えたりしますよね。
自分のお金が、物と交換されるだけでなく、
好きな場所やそこにいる人のためにもなるというのは
いいことやなあ愛があるよなあとつくづく思うようになりました。
自分でお金を稼いだり、友達が店をやったりする年齢になったから、
そう思うのかもしれない。
いや、次号の「音読」がそういう内容だから
そう思うのかもしれない。
だからこれからはなるべく、
好きな店でものを買うようにしようと思ってます。
京都は好きな店が多い街だから、
住んでてよかったなあ、あらためて。
なんてことを思う今日このごろなんでした。