音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

保育所生活開始

ImageProxy[1]

仕事に復帰してからまだ3日しかたっていないんだけど、疲れきってしまっている。1日中重たい荷物を持って歩き回る仕事なので、腰と肩と脚がぱんぱんに張って痛い。保育所にれんたろうを迎えに行って、泣き喚く彼を抱きかかえられず、へたりこんでしまっている。毎日。

 

れんたろうは先週の水曜から慣らし保育を始めたので、保育所生活はもう一週間以上たっているのに、まだ送迎のときは大泣きしているし、私もほぼ毎朝こっそりと泣いている。泣いてるれんたろうが不憫でしかたない。

職場が遠いので、7時にれんたろうを預けるわけなんだけど、7時から開く保育所にれんたろう以外のこどもの姿はない。毎朝一番乗りだ。保育所はいつもがらんとしていて寒々しい。

保育所の駐輪所に自転車を止めると、私がまた離れてどこかへ行くんだ、ということがわかってれんたろうが泣き出す。

保育所に預けるのは0歳か2歳がいいらしい。0歳はまだものごころついていないから本人が知らないうちに慣れてしまう。2歳は言葉がわかるから「迎えに来る」ってわかるし友達も作れる。

でも1歳は、ママが離れていくという事実しかわからない。

 

保育所に預けることを始めて一週間、実際に体験してみて、こどもと離れることがこんなに辛いとは、と思った。

れんたろうと私は四六時中一緒にいたので、ほとんど癒着しているといっても過言ではなかった。それをいきなり引き離すのだから、寂しいとかいうレベルではない。

 

れんたろうの泣き声が外まで聞こえてくると、母親としての本能なのか、危険信号がかんかんなっているようにからだがわなないてしまう。

「まだ離れるべきときではないのでは」と、思う。まだ乾いてないかさぶたをはがしたみたいな痛い痛い感じ。でも生活のために働かなくちゃいけなくって、かさぶたとって走り回った結果、その傷跡は一生残るんじゃないか、なんてことを電車に乗りながら考える。

そういうことを言ったらほぼ100パー、「こどもはそんなにやわじゃないよ」「すぐ慣れるよ」と言われる。

 

たぶん、その通りなんだと思う。1ヶ月後にはもう、泣いてないかもしれない。保育所に喜んでいくようになる日もすぐかもしれない。私自身もすぐに慣れるのかもしれない。

でも、慣れることっていいことなんだろうか?双方がなんとも感じなくなるっていいことなんだろうか?またも考え込んでしまう。みんな最初、そうなの?

 

私自身は半年から保育所に入っていたのだけど、毎朝母にしがみついて大泣きしていたと聞いた。そういえば、いつも門のところにへばりついて、母が迎えに来るのを待っていたなあということを、れんたろうの泣き声を聞きながら思い出した。

話せるようになってから、私は「お金がなくてもいいからそばにいてほしい」と言っていた、でも母は「お金がないと生きられないよ」と言って仕事していた。

 

保育所にれんたろうを預ければ、私は仕事ができ、お金を稼ぐことができる。

れんたろうは友達ができるし、いろんな経験ができる。

でも、もっと一緒にいたかったなあ。もうただ、それだけで。

 

7時に預けて17時に迎えにいく毎日。10時間分のれんたろう、見れなくって寂しい。毎日確実に成長していて、知らないれんたろうみたいに見える。

しかも帰ったら20時には寝てしまう。たったの3時間しか一緒にいられないのに、

私は疲労困憊で、言うこと聞かないれんたろうに怒ってしまって自己嫌悪して。

 

辛くて辛くて参っている。

 

 

2024年11月のアーカイブ

これまでの連載