音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

パパ見知り

蜀咏悄

ついに恐れていたことが始まった。

れんたろうがパパを怖がるようになってしまったのだ。

いわゆるパパ見知りなのだが、

私が思っている以上に夫はショックを受けているらしい。

帰宅してすぐ、「れんたろう~」と言って抱っこをしようとするのだけど、

れんたろう、奇声をあげて嫌がる。もがく。眼鏡を払い落とす。泣く。

ご飯を用意しながら、

二階から聴こえる「何でやねん…何でやねんれんたろう…」という夫の嘆き声に、

少しかわいそうになるも笑う。

 

一方で、れんたろうはママ(私)にべったりである。

おっぱいがまだやめられないというのもあるけど、

寝転がって本を読んでいたらべたーっと乗っかってくるし、

テレビを観ていたら膝にお尻をぷりぷりしながら乗せてくるし、

自分が食べているものを「あーん」と言って私にくれたりするし、

寝ていたらほっぺたをあま噛みしてくるし…

恋人ですか?

と思うくらいに単純にすごく好かれているというか、愛されているなあと思う。

 

母は子供に愛情を注ぎ続けていますが、

母だって子供からたくさん愛情をもらっているんだなーと。

もしかしたら、子供からの愛情のほうが多いんじゃないかと思うくらいに。

保育園でも感じるけれど、

れんたろうたちはずっと母親といたがっている。

母親のほうは、ちょっと離れるくらいがちょうどいいと思っている人、

かなりいると思うんだけど、

れんたろうたちはずっと一緒にいたい気持ちを抑えて仕方なく順応しているように見える。

れんたろうたちはまだ1歳だから、

もっと大きくなったら、親離れが始まるんだろうけれど。

 

パパはそんな母子を見てやっぱり寂しいとか思うのかな?

そんなもんだ、当たり前だと思ってるのかな?

夫は「れんたろうと仲良くなりたい」と思っているらしい。

私はそれをとてもいいことだと思う。建設的な考えだと思う。

 

私と夫は役割が違う。ふたりで育児する以上、それは当然のことだ。

パパ見知りがあるのは、一緒にいる時間が短いから。

生活のほとんどを私が世話して教えるかわりに、

一緒にいる時間が短い夫にはれんたろうと目一杯遊んでやってほしい。

楽しいことをたくさん教えてやってほしい。

量を凌駕するほどの質の良さで(プレッシャー)。

 

土曜の午後、私はれんたろうを夫に預け、ひとりで本屋さんめぐりをしてきた。

泣くかしらと心配だったけど、

帰ったら楽しげにふたりで遊んでいた。

夫はギター、れんたろうは音のなる絵本をもって。

「俺、れんたろうと仲良しやねん」

と言って夫は嬉しそうだった。

 

 

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