音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

大人と子供の目

蜀咏悄 1

今、保育園で保育参加というのをしてきて帰ってきたところ。

れんたろうの属するこあら組に午前中だけいて、みんなと一緒に遊んできた。

 

れんたろうが生まれる前は私は子供がすごく苦手だった。

子供相手に愛想笑いをしたり媚を売ってみたり、

会話が続かないことに悩んだりして、

関係がうまくいかないものだから

「うん、子供全然可愛くない」

と結論づけてしまうことが多かった(単純に嫌な奴ですね)。

そしたら前に勤めていた会社のパートの女性の方に、

「私も子供すごく苦手だったんですよ~」

って笑って言われたことがあった。

「でも不思議なもんで子供を産むと自分以外の子供もみーんなかわいくなるの。土門さんもきっとそうなりますよ」

そのときは信じられなかったけど、今は本当だってわかる。

こあら組のみんな、かわいかったなー。

 

今日はみんなで散歩カーに乗って神社に散歩へ行って、

わーって歩いたり走ったりどんぐり拾ったりして遊んで、

保育園に帰ってきて室内でちょっと遊んで、

ごはんを食べてお昼ねをした。私はそこでおしまい。ひとりで帰ってきた。

 

11時前、室内で遊ぶときになってようやく、こあら組のみんながなついてきた。

絵本を何冊も持ってくるので、私はひたすら「だるまさん」シリーズを読み、

わらべうたをうたい、くすぐりごっこをした。

子供たちにはすごく受けた。こんなに子供に好かれるのは初めてだと思った。

(その間れんたろうは他の子のお父さんに夢中だった。抱きついたり、車をあげたり、サービス精神旺盛だった)

 

子供は大人をよくよく見ている。

顔色をうかがうと言ったらちょっと悪い言い方になるけど、

それくらい大人の表情や機嫌を見ている。

昔の私は子供の機嫌をうかがっていた。

つまり、私は子供と機嫌のうかがいあいっこをしていたことになる。

お互いが相手に受け入れられようとしていた。

それがまずかったんだ。だから、子供も私と遊びにくそうだったんだ。

絵本を読みながら、ぽんぽんのお腹をくすぐりながら、ふと思った。

あのとき私は、子供よりも自分を中心に考えていた。

 

小さな子供は、

「大人に受け入れられたい」という気持ちしかない。

この大人を好きか嫌いか判断するなんてことはまだできなくて、

「自分がこの大人に好かれているか嫌われているか」しかないんだと思った。

 

れんたろうもそうだ。

私がいくら叱って彼を泣かせても、

「おいで」と言ったら泣きながら抱きついてくる。

「怒られた、悔しい、あんなやつ嫌い」とまだ思わないんだと思う。

もう少ししたらそういう感情も出てくるかもしれない。

でも言葉も身体能力もまだまだ幼くて

圧倒的に大人の庇護が必要な彼らにとって、

「大人に受け入れられること」がこんなにも大部分を占めるのかと、

私の顔色を見る子供たちの表情を見て、

ちょっと悲しくなったり、反面かわいくなったり。

 

反応をしてやるととても喜ぶ。「すごいね」と言うといくらだって続ける。

だから、これからもちゃんと見ようと思った。

「見て見て」もまだ言えず、「あーあー」って声にしかなってないけど。

たぶん彼らにとって大人の両目はすごく大きいんだろう。

 

蜀咏悄 2 - コピー

 

それにしても、れんたろうはできることが増えている。

おむつを自分で上げたり、靴に足を突っ込んだり。

いつも私が「できないもの」と思い込んでしてあげてたけど、

私が思う以上に彼はできるのかもしれない。

私の知らないれんたろうが、まだまだたくさんあるんだろう。

 

そしてそろそろ「ママ嫌い!」とか言われるんだろうな。

子供と親の関係性はどんどん変わっていくから、

意識して更新していこう。子供の成長は早すぎる。

 

 

 

 

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