大人と子供の目2013.11.6
今、保育園で保育参加というのをしてきて帰ってきたところ。
れんたろうの属するこあら組に午前中だけいて、みんなと一緒に遊んできた。
れんたろうが生まれる前は私は子供がすごく苦手だった。
子供相手に愛想笑いをしたり媚を売ってみたり、
会話が続かないことに悩んだりして、
関係がうまくいかないものだから
「うん、子供全然可愛くない」
と結論づけてしまうことが多かった(単純に嫌な奴ですね)。
そしたら前に勤めていた会社のパートの女性の方に、
「私も子供すごく苦手だったんですよ~」
って笑って言われたことがあった。
「でも不思議なもんで子供を産むと自分以外の子供もみーんなかわいくなるの。土門さんもきっとそうなりますよ」
そのときは信じられなかったけど、今は本当だってわかる。
こあら組のみんな、かわいかったなー。
今日はみんなで散歩カーに乗って神社に散歩へ行って、
わーって歩いたり走ったりどんぐり拾ったりして遊んで、
保育園に帰ってきて室内でちょっと遊んで、
ごはんを食べてお昼ねをした。私はそこでおしまい。ひとりで帰ってきた。
11時前、室内で遊ぶときになってようやく、こあら組のみんながなついてきた。
絵本を何冊も持ってくるので、私はひたすら「だるまさん」シリーズを読み、
わらべうたをうたい、くすぐりごっこをした。
子供たちにはすごく受けた。こんなに子供に好かれるのは初めてだと思った。
(その間れんたろうは他の子のお父さんに夢中だった。抱きついたり、車をあげたり、サービス精神旺盛だった)
子供は大人をよくよく見ている。
顔色をうかがうと言ったらちょっと悪い言い方になるけど、
それくらい大人の表情や機嫌を見ている。
昔の私は子供の機嫌をうかがっていた。
つまり、私は子供と機嫌のうかがいあいっこをしていたことになる。
お互いが相手に受け入れられようとしていた。
それがまずかったんだ。だから、子供も私と遊びにくそうだったんだ。
絵本を読みながら、ぽんぽんのお腹をくすぐりながら、ふと思った。
あのとき私は、子供よりも自分を中心に考えていた。
小さな子供は、
「大人に受け入れられたい」という気持ちしかない。
この大人を好きか嫌いか判断するなんてことはまだできなくて、
「自分がこの大人に好かれているか嫌われているか」しかないんだと思った。
れんたろうもそうだ。
私がいくら叱って彼を泣かせても、
「おいで」と言ったら泣きながら抱きついてくる。
「怒られた、悔しい、あんなやつ嫌い」とまだ思わないんだと思う。
もう少ししたらそういう感情も出てくるかもしれない。
でも言葉も身体能力もまだまだ幼くて
圧倒的に大人の庇護が必要な彼らにとって、
「大人に受け入れられること」がこんなにも大部分を占めるのかと、
私の顔色を見る子供たちの表情を見て、
ちょっと悲しくなったり、反面かわいくなったり。
反応をしてやるととても喜ぶ。「すごいね」と言うといくらだって続ける。
だから、これからもちゃんと見ようと思った。
「見て見て」もまだ言えず、「あーあー」って声にしかなってないけど。
たぶん彼らにとって大人の両目はすごく大きいんだろう。
それにしても、れんたろうはできることが増えている。
おむつを自分で上げたり、靴に足を突っ込んだり。
いつも私が「できないもの」と思い込んでしてあげてたけど、
私が思う以上に彼はできるのかもしれない。
私の知らないれんたろうが、まだまだたくさんあるんだろう。
そしてそろそろ「ママ嫌い!」とか言われるんだろうな。
子供と親の関係性はどんどん変わっていくから、
意識して更新していこう。子供の成長は早すぎる。