後悔しない子育て2014.3.22
知り合いが、育児ノイローゼにかかったらしい。
長男に続いてすぐ、次男を妊娠し出産。
下の子で手一杯の状況で、上の子はもちろん赤ちゃんがえり。
お兄ちゃんといってもまだ小さいのだから、当たり前だ。
それはわかっているけどどうしても、上の子に手をあげてしまうのだという。
彼女は後悔していると言っていた。
「子供たちは泣いてばかりいる。あきらかに笑顔が減った。
私は母親になったことを後悔している。
こんな未熟な私が産んでしまって、子供たちには悪いことをした。
このまま私がそばにいても辛い思いをさせるだけだから消えてしまいたい」。
その人とよく似た母親を、私はもう一人知っている。
彼女も子供に手をあげてしまう。
子供が嫌いだと思ってしまうらしい。
ふたりとも、すごくすごく辛そうだ。
私はれんたろうを叩いたことが数回ある。
別に命の危険に関わるようなことをしたからとか、
他の子をいじめたからとかそういうんじゃない。
単に自分がいらいらしたからである。
このころは、れんたろうのやることなすことが
自分を困らせるためになされているような気がした。
完全に被害妄想だ。
それくらい余裕がなかった。
叩いてみてわかったのだけど、子供に暴力をふるうのは
正直に言うとすごく高揚することだ。
まず、いらいらをぶちまける気持ちよさ。
そして子供が自分によって泣くという支配感。
それから子供が自分に嫌われまいと必死ですがりついてくるときの優越感。
叩いてしまったという背徳感も、人によっては高揚につながるのかもしれない。
そして何より、自分が泣かせたのだと思うと
子供の泣き顔がものすごくかわいく見える。
でも、そんなの一瞬だ。
終わるとすぐに自己嫌悪におちいる。
そしてまたいらいらする。すっきりしたくて叩いてしまう。
私はこれはまずいと思った。
簡単に癖になってしまう。
自分が虐待するかもという考えがよぎったときにはぞっとした。
簡単にあっち側にいけるんだな、と思った。
そんなとき関根勉がテレビで、
「娘さんが結婚したら泣いちゃいますか?」
と質問されて、
「いいえ、僕は目一杯彼女を可愛がってきたから、
もう心残りはないんです。だから寂しくないし、泣きません」
というような答え方をしているのを観た。
私はそれを見て、「これだから男は」とまず思った。
子育ての良いとこどりばかりして、ずるい。
そりゃあ、ちょっと見るだけだったら、思い切り可愛がることもできるだろう。
でも、ずっと見ている母親にしたら、可愛いだけじゃやっていられないのだ。
だけど、私はそんなふうに男(この場合関根さん)をねたむよりも、
「自分も彼みたいに、れんたろうが二十歳になったとき笑ってそう言いたい」
と一瞬でも思った自分を逃さなかった。
この自分を逃したら、一生不満顔で子育てをしてしまうような気がした。
そしてすぐ、自分会議を決行した。
テーマは「後悔しない子育てって何だろう?」。
私の中の私たちはいくつかアイデアを出してくれた。
・れんたろうの笑顔がたくさん見られること
・れんたろうが安心して生活できること
・れんたろうが「生きるって楽しい」と何度も思うこと
でもそのすべてが「れんたろうが幸せであること」なのだった。
ちょっと親馬鹿すぎないか?他に何かないのか?という意見もあった。
でも、「れんたろうが幸せであること」以上に優先すべきことは
何ひとつないのだという結論にいたった。
そしてそのためには「私がにこにこしていること」が必須なのだということもわかった。
お茶がこぼれたら拭けばいいし、
ビデオデッキが壊れたら修理に出すか買い換えたらいい。
服が汚れたら洗濯すればいいし、
手帖や大事な本が破かれたって死にはしない。
でも、悲しい・怖い時間だけは、どうしても取り消せない。
このままだときっと私は、20年後に思うだろう。
「ああ、小さなことでがみがみ怒っていないで、
そんな時間があれば少しでも多く抱きしめてあげたらよかった」
でもそんなこと後悔してももうれんたろうは子供じゃない。
立派なひとりの大人であって、彼にはもう私は必要じゃない。
関根さんのその番組を見てから、だいぶ私は変わったと思う。
私はまったくれんたろうを叩かなくなった。
怒ることもかなり減った。
するとれんたろうもどんどん変わった。
笑顔が増えた。
いやいやが明らかに減った。
私のことをもっと好きになったようだ。
もちろん私ももっとれんたろうを好きになった。
私たちは今かなり仲がいい。
私は最近よく、20年後から今をのぞく。
20年後の自分は言う。
「料理なんてレトルトでいい。
そうじもしなくていいし、洗濯も最低限で十分。
しんどいときはタクシーにでも乗ったらいい。
れんたろうといるのに疲れたら、誰かに頼めばいい。
いちばん大事なのは、れんたろうの前でどれだけ笑顔でいられるか
なのよ~」
育児していると、母親は簡単にパンクする。
だからこんなふうに、20年後の自分がときどき穴をあけて覗き込んで
空気を抜いてくれたらどんなにいいだろう。
先述の知り合いは、実家に帰ることにしたらしい。
もう一人は今、一時保育を利用している。
早くふたりが、後悔なんてしなくなりますように。