子供の持ち物について2014.4.16
れんたろうが進級し、クラス替え。次はらいおん組だという。
これまでお世話になっていた担任の保育士さんのうち、
ひとりはまた同じクラス、もうひとりは異動された。
新しい先生は若いひとで、いつもサッカーのユニフォームを着ていてかわいい。
さて2歳児クラスになったら、
「ひも付きハンドタオル」がいると聞いていたので、
進級する前に大きなスーパーに探しにいった。
はじめ「ひも付きハンドタオル」が何か全然わからなかったので、
よくよく聞いてみれば、子供が壁にかけられたタオルで手を拭くという
行為を学ぶために使われるものであるという。
それで「じゃあハンドタオルにひもをつければいいんだろう」
と思っていたのだけど、ネットで調べてみると、
どうも「ひも付きハンドタオル」はちゃんとした製品として売っているらしい。
しかも、かなりなんていうか、ちゃんとしたものなのだ。うん、やっぱ製品だし。
私が考えていたような、小学生のころに机の横にぶらさげていた
ひも付きのぞうきんとはわけがちがうらしい。
スーパーには様々な模様のものが一枚300円で売られていた。
1日2枚使うので、れんたろうが好きな車や電車が描かれている柄を、
2種類3枚ずつ買った。
以前の私なら、家のタオルにひもをつけていただろう。
100均でひもを買って、うちの古いタオルを切って縫って
100円と私の労力ですべて済ませていたはずだ。
「もったいない」とか「すぐだめになるんだから」とか
「子供のうちから贅沢などいらぬ」「決して媚びない」(何に?)とか思って。
でも、このあいだ1日保育士体験をしてから、私はかなり考え方が変わった。
当然のことながら、園には様々な子供がおり、その数だけ両親がいる。
彼らはそれぞれの価値観のもと子育てをしている。
私は、私の両親と価値観が似ているだろう両親を持つと思われる(ややこしい)
子供をその中に発見した。
彼を見ていると、どうしても自分の幼いころを思い出す。
洋服は特におかしいものは着ていないのだが(まあちょっと80年代によりすぎた感はあるのだが、それは個人の趣味なので)、小物が何だかおかしいのである。
例えば、お昼寝のときふとんにかぶせるバスタオルが真オレンジの無地であるとか。
(他の子供たちは、キャラクターや、動物の絵などが描かれたバスタオルを持っている)
手を拭くタオルが、信金の名前が書かれたタオルにゴムを縫い付けたものであるとか。
(他の子供たちは、キャラクターや、動物の絵などが描かれたひも付きタオルを持っている)
私も幼いころそうだった。
座布団は、椅子からはみ出るほど大きい大人用を持たされた。
傘は母が使っていた、シルクみたいな生地のものを持たされた。
エプロンもそう、手提げ袋もそう、巾着袋もそう。
みんながキティちゃんやキキララの絵のついた赤だのピンクだのの
グッズを持つ中、私はすべて大人用を持たされ、何か変なのだった。
両親は、別にけちではない。
服は新品を買い与えてくれたし、ほしいと言えば買ってくれる。
ただ単に、学校や保育所に所属する子供たちの持ち物に、
ある種の文脈があるのを知らないのだと思う。
私は自分が母親になったら、必ずかわいいキャラ物を子供には持たせよう、
まわりから「わたしもそれほしい」「どこで買ってもらったの?」と
うらやましがられるくらいに、趣味のいいものを持たせようと思っていた。
(ちなみに私はそんなことを言われたことは皆無です)
でも、それは大人になったらすっかり忘れた。
バスタオルは家で使わなくなったようなものを持たせていたし、
エプロンも、信金のタオルに紐を通したようなものを持たせていた。
そう。そうなのです。
つまり、私はあの男の子の両親、すなわちうちの両親と
同じ轍を踏んでいたのです!
いやはや。驚きました。
保育士体験をして、その男の子に出会ってから、
帰ってすぐに私はれんたろうのエプロンを買い替え、
バスタオルもうちで中くらいにきれいでかつまあまあおしゃれなものを
持たせるようになった。(それでもこのていど…)
そしてまだ着られるからと着せていた、しみのとれない服や
洗いすぎて袖がかぴかぴにしぼんでいる服をすべて捨てた。
(これはあまり関係ないですね)
らいおん組でひも付きタオルを所定の場所にぶら下げる際、
ちゃんと買いに行った自分をほめてやりたくなった。
みんな製品!みんな製品を用意していたんです!
誰も信金のタオルにひもを縫い付けることはしていなかった。
私はれんたろうに胸を張って教えてやった。
「お前のタオルは今日からここにぶら下がっている。
見てごらん、かっこいい車と新幹線が描かれているだろう」
れんたろうのタオルは、ずらりと並ぶひも付きタオルの中でも
ひときわ母の目に輝いて見えたのだった…
さて、周囲から浮かないようにみんなと同じようなものを持たせるなんて、
なんと没個性的だとか日本人的だとか、思われますでしょうか?
ええ、ええ。没個性的?結構結構。
そんなもので死んでしまうような個性なら最初からいらないのである。
それに、くだらないことで周囲から浮いてしまう苦しみは私がよく知っている。
そんな無駄な苦しみは味わわなくていいし、
この程度で取り除けるのなら安いものである。
自分の持ち物でテンションが上がったり下がったりするのは
子供だって同じなんだから。
しかし、おそらく大半のお母さんがたは、
こんなふうに考えたり努力しなくても
スムーズにその場所に最適なものを用意することができるのだろう。
ひも付きタオルの群れを見ながら、うーむと私は考えた。
なぜそんなことができるのか。
それが不思議でしょうがない。
空気を読む力が優れているのだろうか?
情報収集能力が高いのだろうか?
よくわかんないですが、新年度もよろしくお願いします。
敬愛する高野文子さんが絵本を出されたので買いました。
「黄色い本」を彷彿とさせる、素敵な絵本です。