賢くも正しくもない自分が子を育てるということ2014.7.5
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本文とは関係ないのですが、
音読11号「KYOTO RECORDSHOP GUIDE」できました!
ゆるゆると配布しておりますので、ぜひ読んでくださいね~
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このあいだ、予防接種を一切受けさせないというお母さんのブログを読んだ。
生まれてこのかた、一度も受けさせていないのだという。
予防接種には任意のものと、絶対受けてねと言われているものの2種類があって、後者のほうにはたとえば、DPT(ジフテリア、百日せき、破傷風)、日本脳炎、ポリオなんかがある。
一度も受けたことがないということは、それらも全部受けていないということになるけど、多分そうなんでしょう。
うちは、全部受けてきた。
任意のものもほぼ受けている。
受けさせる理由は、「受けさせるべきかどうか、考えてもわからない」からだ。
にわか仕込みの知識で現代医療にかなうわけがない。
それならば目の前のお医者さんを信じるしかないし、
私には自分よりも、これまで医療に従事してきた方々のほうが信じられる。
彼女のブログには、「子供が大人になるまでは親の責任」「だから、予防接種は受けさせない」と書いてあった。予防接種はからだの免疫力を下げることに繋がるから受けさせないのだという。
彼女もリスクはわかっているし、自分なりに勉強はしている、と書いてあった。
彼女自身も、風疹やインフルエンザの予防接種をしていないらしく、幸いかかってもいないらしい。
私はそれを「幸い」と書いたけど、彼女は「予防接種を受けていないけど、きちんと生活しているから病気にはかからない。だから予防接種も不要だ」と考えている。
私には、それが偶然なのか必然なのかわからない。
ただこのブログを読んで、親ってこわ~、と思った。
親がこわいんじゃなくて、親という立場がこわい。
親がたとえ間違っていても、子供はどうすることもできない。
ただ甘んじて受け入れるしかない。
「予防接種を受けない僕」を、前提として作られる。
それは、親の思想である。
子供時代は誰しも、親の庇護下にあるわけだから、親の思想を身にまとって当然だろうと思う。
ベジタリアンの親を持つ子供は肉を食べないだろうし、
ある宗教を信仰する親を持つ子供は一緒に宗教活動をするだろうし、
特定のファッションを偏愛する親を持つ子供はそれにならった格好をするだろう。
しかたないことだと思う。
誰かの庇護下で生きていくというのはそういうことだし、
反抗期はそれから抜け出すためにあるんだから。
私は、いつもれんたろうは「私に付き合ってくれてる」と思っている。
たとえば私が彼のほしがるお菓子類をあまり家では出さないこと、
あまりテレビを見せないこと、
おもちゃといえば絵本を与えることなど、
私の教育法すべてに付き合ってくれてるんだと思っている。
私が彼を育てているから、我慢して付き合ってくれているのだと。
よかれと思ってやっていることは、実は別に良くないのかもしれない。
お菓子を我慢させるストレスのほうが、砂糖による肥満の誘発よりも
よっぽどからだに有害なのかもしれない。
その可能性を無視して、私は自分の教育法を実行しているし、
それにれんたろうは付き合ってくれている。
それを自覚しないで子育てをするのは危険だなーと思った。
自分はどこまででも傲慢になれる。
子供は支配下にいるので。
「よかれと思って」しまったら、簡単に巻き込んでしまえるし。
だから早く反抗期に入ってくんないかなーと最近思う。
いつだって私はうしろめたい。
れんたろうも、早く自分の思想を持ってくれたらいい。
いろんな人間に出会って、いっぱい考えて、親である私を否定して、
広い世界に出ていってほしい。
私はあまり「育てる」ということに自信がないのかもしれない。
だから件のようなブログを読むと、こわいなと思うのかもしれない。
人を育てるというのはこわいことなのだ。
おそろしいことなのだ。
母は神様でも医者(の人もいますけど)でもないし、ひとりのちっぽけな女でしかない。
そんな女が子供の人生をおんぶしているんだということを
いつも自覚していたい。
そしてずっと悩んでいたい。
でないと、こわいよね。
相談したり、教えてもらわないと、自分が客観的に見られない。
基本的に子育ては密室だから、自分の教育法が虐待にあたるかもしれないということもわからない。
れんたろうの目見てると、見透かされてる気がする。
「僕はいいよ、付き合うよ」って、何かいつも思われてるような気がする。
きっと私が殴っても育児放棄しても、同じ目で見るんだろうな。
それがとてもこわいんです。