音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

母親が娘の美醜にあれこれ言うことについて

蜀咏悄

目黒の美容整形外科クリニックの院長のブログがおもしろい。

このあいだはこんな記事を書かれていた。

「韓国の親子の美容整形に関するいい話!?にする予定が大幅に変更となりました〜!!」

http://www.gohongi-beauty.jp/blog/?p=11185

いやー、この母親こわいなあ。スプーンでふたえまぶたって…ほんと?

 

さて私の母は韓国人である。

で、たまにされるのが「韓国人ってほんとにみんな整形してるの?」という質問。私が見ているかぎりの話になるけれど「30代以上の女性のふたりにひとりは少なくともしてるっぽい」といつも答えている。でも、私の母の友達とかその娘さんの話なので、全体的にどうかといわれるとわからない。もしかしたらもっと多いかもしれない。少ないということはないんじゃないか?あるのか?わかんないです。

 

私の母はというと、娘の私から見ても若いころはかなりの美人だったので、整形の必要はなかったそうだ(本人談)。確かにぱっちり二重まぶたで、鼻筋も通っていて、ほりが深く、ロシア人になぜか間違われることが多い。でも年をとってからはプチ整形らしきものはしていて、レーザーでしみをとったりとか、眉毛を刺青したりとかはしている。

 

娘の私は父方の祖母に似ており、自分で言うのも悲しいんだけど、むくみやすいひとえまぶた、短い睫毛、低い鼻を顔に配置している。

母には幼いころから当然のように「整形したほうがいい」と言われていて、「ちょっとだけ手を入れればかわいいふたえまぶたになるから」とか「絶対鼻だけはやったほうがいいよ」とか週に1度は言われていた。

これを言うと日本人の母をもつ子供は「ひどーい」とか「そんなことないよ」とか言って気まずそうに驚いてくれるのだけど、韓国では全然普通のことだ(多分)。だって知り合いのおばちゃんからも言われるもん。「整形したら?」って。全然悪気ないんだと思う。整形をハイパーな化粧だと思ってるんじゃないだろうか。

 

私は自分の顔があまり好きではなかったので整形願望もわりと強かったのだけど、手を入れると失敗したときが怖いなと思ってなかなか踏み出せなかった。それがなければしていたかもしれない。でも思春期を過ぎれば結構どうでもよくなってきて、化粧である程度ごまかすことも覚えるし、君の顔が好きだという殿方にも出会えたし、まあもういいかなと思う。

でも昔からずっとあるそばかすは消したくて、レーザーにはちょっと興味がある。

しわやたるみの問題が出てきたら、やっぱり何かしらしたいなとは思う。するかはわかんないけど。

 

いや、そんなことは今どうでもよい。

上記のブログを読んで、母親と娘の関係について「やれやれ、そうなのよね」と思った人も多いんじゃないでしょうか?ということを書きたい。母親と娘の関係については話すとそれだけで夜が明かせるくらい長くなるのだけども、ひと言で言うと、女と女は本能的に競い合う生き物なのよね、ということである。それも外見を。見た目をね、競い合うんですよ。ばかみたいだけど仕方ない。くじゃくですから、女は。外見の美しさが武器ですから。私は何を言ってるんだ?

ともかく、それを母親と娘でもやっちゃうんです。うちの母も、自分の若いころと私を比べていた。で、もっとこうしたら?こうしたら?って言うんだけど、それって完全に上から目線なんですよね。母親と娘、という立ち居地でなく、きれいな女ときれいじゃない女、になってるの。よく、おぼこい女の子にけばい女の子が「もっとこうしたらきれいになるのに~」って言いますけど、その進化系の構図なのだ。母と娘というのは。

だって、母は娘に何を言ってもいいと思っているのだもの。自分が産んで育てたものだから。女のいちばん気にする外見の美醜については特に、親として・女として・の気持ちがない交ぜになってしまうんだと思う。「育てたい」「競いたい」がまじっちゃってるというか。しかも母親のほうがもうどこかOB気分なのだ。「だってわたしはもう年をとってるししかたないでしょう?それにひきかえあんたは若いっていう武器持ってるのに」という雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?(こんなこと書いてるけど私は母のこと好きですよ)

 

友達の母親は、娘であるその子にずっと「あんたは肌が汚い」と言っていたらしい。何よりもそれを言われるのが嫌だったって言ってたけど、その気持ちは死ぬほどわかる。

友達同士でこのことについて話していると、「あんたは髪が多いから」とか「あんたは太ってるから」とか「あんたは色が黒いから」とか、母親って身体的特徴に文句っていうか、事実確認みたいなことを言うよねという話になる。日本だとその先が「皮膚科にいけば」とか「化粧水変えたら」とかだと思うんだけど、韓国だと「整形したら」になるだけの違いだと思うんですよ。だから、上記ブログは韓国だけの話ではないように思うんですけどね。

 

一回むかついて「おかあさんだって太ってるじゃん」と言ったことがあるが、全然すっきりしなかった。

太ってることは本人がいちばんよく知ってるのに、そんなことに追い討ちをかけるような発言をするなんて、気分が悪いに決まっている。

でもなぜそれを母親はするのか?と言ったらそれはもう、「子供」だからなのだ。

子供だからわかっていないとでも思っているんだろう。

 

男親と息子の関係ではそういうことないんだろうか。

男だと「外見の美醜」が「権力の有無」とか「肉体的力量の有無」とかになるんだろうか。

そういう小説ってよくあるしな。息子と父親の確執。

 

さて恐るべきことに私はれんたろうに対して

「鼻が低いね…」

と気づくとよく言っている。

い、遺伝だ。いろんな意味で。

これ、女の子だったら(いや男の子でも気にする子は気にするのか?)憎まれるよな…。

 

ということに気づいて震えているところだ。

 

※きのう保育園で夏祭りがあり、れんたろうはみこしの風船に夢中だった。

いろいろ他にも遊べる場所があったのだが、彼はとにかく風船に夢中でした。

 

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