誕生日のたびに誕生の日を思い出す2015.1.31
一月十日、土曜日。
れんたろうが三歳になった。
この日私は風邪をひいて寝込んでいたため祝うことができず、
ずっと布団で臥せっていた。
夫がれんたろうを外に連れて遊んでやってくれていたのだけど、突然外かられんたろうのわーっという泣き声と 夫が私を呼ぶ大声が聞こえたので、ふらつきながらも急いで一階に降りた。
降りて、 私は思わず叫んだ。
れんたろうのおでこから血がだらだら流れていて、顔が白くなっている。
ボールで遊んでいたところ、アスファルトに頭から転んだのだという。
抑えても抑えても血が止まらないので、すぐにタクシーを呼んで救急病院に行った。
待合室でれんたろうが眠ろうとするので、怖くなって何度も揺さぶって起こした。
長時間待って治療室に入ると、れんたろうは何だか恥ずかしそうに
「おもちゃ、ある?」と言い、おもちゃを渡されて嬉しそうにした。
動いてはいけないからと、れんたろうはサランラップのようなもので
上半身をぐるぐる巻かれ、傷を水できれいに洗い流してもらい、
ガーゼで覆ってもらっていた。
ぐるぐる巻かれている姿が何だかおもしろくて、私は我慢ができずに笑った。
夫も「ぶはっ」と噴き出して、れんたろうは「ぐるぐるや」と嬉しそうに笑った。
幸い縫う必要はないとのことだが、
私は途中から自分が血を出したわけでもないのに貧血になって吐きそうになった。
帰りのタクシーの運転手のおしゃべりにも反応できなかった。
その日は夫の作ったパスタを大半残して寝た。
翌日れんたろうをお祝いした。
ケーキと、私達からのささやかなプレゼント (ノンタンの絵本) に大喜びだった。
おめでとう、と言うと、ありがとう、と言う。
この子が私のおなかで発生したなんて、信じられない。
すくすく大きくなって、今では会話までできてしまう。
すでにこの子は私とは他人になってしまって、
自分のことば、思考、自分の世界をもっている。
三年前の一月十日を思い出す。
私の人生で、いちばん幸せにうちふるえた一日だった。
それと同じくらい恐怖も感じた。
宝物と同時に、宝物を失う可能性まで手に入れたからだった。
私はそれから数ヶ月、ほとんど熟睡できなかった。
れんたろうがおっぱいを求めて泣くからではなく、
緊張して眠りが浅くなるのだ。
でも、つらいとは思わなかった。
ぱっと起きてすぐにれんたろうの鼻に指をあてる。
あたたかい寝息が感じられると、心底安心する。
「ああ、よかった」とほっとする嬉しさが、
寝不足のつらさをいともたやすく塗りつぶした。
誕生日のたびに、そのことを思い出す。
きっとこれからも、誕生日のたびに 思い出すんだろうな。