音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

できるだけ美しく豊かに生きるということ

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れんたろうが4歳になって、彼自身できることが増えた。

私の態度もだいぶ厳しくなってきて、注意することや指示することが増えている。

3回言っても返事がないと、4回目できつい口調で言う。

「何回言ったらわかる?」

と、かつての自分の母親と同じことを言っている。

それを言われるたびにうんざりしたなと思い出す。

「何回言ったらわかる?」は質問ではなく単なる愚痴だ。

叱ると怒るがごっちゃになっているときがあって反省する。

 

でもやっぱり、さすが子供だ。

教えるたびにできることが増えていくので、成長が目に見えてわかる。

教えたことはできるようになるけど、教えないことはずっとできない。

そのシンプルな法則を実感する毎日だ。

 

最近できるようになったのは、

自分の着替えを引き出しから出して着替えること、

保育園に持っていく園児かばんに、はぶらし、コップ、お帳面を入れること、

そしてそれを教室のしかるべきところに設置すること、

帰ったときにみんなの靴を揃えること、

こたつのスイッチを入れたり切ったりすること。

 

全部覚えれば簡単なことだけど、これまでは私が全部やってしまっていた。

その方が何倍も早いからだ。

 

でも、当然ながらそうするとれんたろうは全然できないまま。

将来的に、私もれんたろうもしんどくなる。

できることは、多いことに越したことはない。

できることが増えれば、その分人生に自由度が増す。

 

だから、意識的に少し時間に余裕をもって、れんたろうに教えるようにした。

「これはれんたろうのお仕事だよ」と伝える。

れんたろうは「お仕事」や「会社」に憧れがあるので、

「これはぼくのおしごとやからな!」と張り切ってやる。

(もちろんやらないときもある。そして私が怒る)

 

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この間、言わなくてもれんたろうが靴を全部揃えてくれていた。

それに気づいて思わず感動して写真を撮った。

 

そのときふと、教育とは広義での投資なんだな、と実感した。

これは、将来有名な会社に入るために良い塾に入れて

高学歴をつけさせるとか、そういうの以前の話。

きっとこれからの人生で、

れんたろうは靴を揃え続ける人になるだろうということ。

 

それでふと、

できるだけ美しく豊かに生きる術を知っているということが、

教養なのかもしれないと思った。

古典文学やクラシック音楽についての知識が豊富であるとか、

歴史に造詣が深いとか馬に乗れるとか、

これもまたそれ以前の話で。

 

ちゃんと顔を見て挨拶するとか、きちんと返事をするとか、

自分のものを管理するとか、部屋をきれいに保つとか、

自分もまわりも気持ちよくなる生き方を知っているというのが

「教養」の基本形なのかもしれない。

 

 

近所の神社が経営難で、駐車場だったところにマンションを建てることになった。

近隣住民は大反対しているけれど、お金がないので背に腹は変えられない。

このままでは遷宮ができなくなってしまうというので、

どうやら工事は進んでいるようだ。

 

建設現場の前には、毎朝おじさん(おじいちゃん)の警備員が、

寒そうにしながら厳しい顔して立っている。

れんたろうは毎朝そのおじさんたちに挨拶をする。

 

最初にし始めたのはれんたろうだった。

自転車で前を通り過ぎるとき、必ず「おはよう」と言うのだ。

最初、おじさんたちも驚いていたようだったけど、

すぐに「おはよう」と返してくれるようになった。

「おはよう」「いってらっしゃい」「気をつけてね」

つられて私も言うようになった。

「おはようございます」「いってきます」

 

この間、前日に雨が降って、

保育園に自転車を置きっぱなしだったので、ふたりで歩いて通園した。

道路の反対側からおじさんが

「今日は自転車じゃないんやなー?」

と大きな声で呼びかけてきた。

「昨日雨だったんで、向こうに置きっぱなしなんですー」

と、こちらも大きな声で答えた。

そうかそうかーと、おじさんは言い、私たちは手を振った。

 

れんたろうが「ママとおじさんはともだちなんやな」

と言った。

「そうだね」と答えると嬉しそうに笑う。

「ともだち」にしたのはあんただよ、と思った。

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