音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

贈るという習慣

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最近れんたろうが文字を書くようになった。

 

保育園に迎えにいくと、ロッカーにその日描いた絵が入れてあるのだけど、

くわがたや人間の絵を描いたその下に「のだくん」とサインしてある。

 

苗字が野田なので、のだくんであることは間違いないのだけど、

なんでいつも「のだくん」なんだろうと不思議に思いれんたろうに聞いてみた。

そしたら

「『のだ れんたろう』の『れ』がむずかしくてかけへんから」

と言う。

でも「く」は簡単で書けるから、彼なりに考えて

意味の通じる「のだくん」にしたのだそうだ。

別に「のだ」でいいのに、もっと書きたかったんだろうなと思った。

 

 

できないことを今できることでカバーしようとするその姿勢を

「とてもいいね」と褒めた。

「れ」が書けるよりもその心意気のほうが大事だ。

れんたろうは褒められて嬉しそうにしていた。

 

 

このあいだ、夫が誕生日を迎えた。

それでれんたろうに「パパ誕生日だから、おめでとうの手紙を書こうか」と言ってみた。

ケーキの絵が描かれたグリーティングカードを見せるとれんたろうはやる気満々になって、

「パパにはひみつにしよう!」と言う。

「じゃあパパのいない時間に書こう」

「そうしよう!」

「保育園の帰りにケーキも買おうか」

「そうしよう!!ぼくは、ぼくは、ぼくは、クリームのケーキにする!」

れんたろうは気分が高揚すると同じ言葉を何度も言う。

 

朝ごはんを食べるとき、まずは「誕生日おめでとう」と言った。

れんたろうも言いなさいと言うと「おめでとー」と恥ずかしそうに言い、

「ぼくたち、なにもじゅんびしてないから」といらんことを言った。

よくわからないといった顔をする夫を仕事に送り出し、

わたしたちも出かける前に手紙を書いた。

 

「おめでとう」は書けるかと聞くと「お」と「め」がむずかしくて書けないと言う。

「じゃあ、『ありがとう』はどう」

「『あ』がかけへん」

「じゃあ、『だいすき』ならいけるやろ」

「うん。…いや!『す』『き』がだめやな」

「それ書けんかったらまったく意味ないな」

という話を繰り返し、

なるほど、くるんとしたり、画数が多い文字はまだだめなんだなと思った。

 

 

「それじゃあカタカナで書くか」と提案したら

「カタカナかいたことない」と言う。

「読めるから大丈夫、ママが見本を書いたるから」と言って、

「パパ スキ レンタロウ」といらない紙に書いて見せてやった。

 

そしたら

「これならかけそう」

と言って、マジックでゆっくり、見本と自分の手元を何度も交互に見ながら、

めちゃくちゃな画数で「パパ スキ レンタロウ」と書いた。

「『ロ』はしかくやん!」とか発見も楽しみながら。

 

「最後に『のだくん』サインも入れたら。これなら見んくても書けるやろ」

と言ったら、少し得意そうになって「のだくん」とそこに付け足した。

 

 

できあがった手紙を見て「なんか電報みたいやな」と思ったが、

れんたろうは「かけたかけた」と喜んでいて、よかったなと思った。

 

 

わたしの父は勉強が苦手で、中学を卒業したあとすぐに専門学校に行き溶接工になった。

普段まったく文字を読まない人だけど、手紙が好きで筆まめである。

誕生日はもちろん、お年玉をくれるときや慰安旅行で家を空けるときなど、

必ずわたしに手紙を書いた。簡単で短いものだ。

「蘭が大好きです」とか「いい子に育ってくれてありがとう」とか。

でもわたしはその手紙をもらうのが嬉しくて、いつの間にかその習慣は自分のものになり、わたしも筆まめになった。

父からもらった、数少ない、でも豊かな習慣だと思う。

 

かなり前に、れんたろうに実家からおもちゃが送られてきた。

中にポケモンのノートがあって、れんたろうはそこにたまに絵を描いたりしていた。

このあいだ、そのページの途中にメッセージが書かれていることにれんたろうが気づいた。

「じじから、おてがみ!」と言う。

見ると、「じじは れんくんが だいすきです」と書かれてあった。

「れんくんが、だいすきです、やって!」

とれんたろうは喜んだ。

こんなページの途中に手紙を書くなんて完全なサプライズだ。

あいかわらずだな、と思って笑った。

 

 

プレゼント、

つまり人に何かをあげる、というのは習慣だなと最近思う。

 

誕生日プレゼントや記念日の贈り物はもちろん、

お土産、お中元、お歳暮、手紙、年賀状、おすそわけ。

そういう「何かをあげる」というのは習慣であって、なかなかあとから身につかない。

もらってばかりでも身につかない。

あげてあげてあげ続けて、やっとその喜びを知ることができるものだと思う。

 

わたしは、れんたろうに「人に喜んでもらう喜び」を知ってほしいと思う。

高価なものじゃなくていい。お店に売ってるものじゃなくてもいい。

自分の手で作ったもので、今できる精一杯のことでいい。

その気持ちだけで喜んでもらえるという経験をしてほしいなと思う。

 

 

 

 

だからもし、れんたろうから何かをもらったら大げさに喜んでやろうとも思う。

「ありがとう」と言われる経験は、子供をとても優しく、強くすると思う。

 

 

 

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