音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

二度目の出産

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10月1日に男の子が生まれて、朔太郎(さくたろう)という名前をつけた。

朔太郎にすることはかなり前から決めていたのだけど、予定日が10月3日なので、どうせなら10月1日に生まれておいで、とずっと声をかけてきた。

朔太郎の「朔」には、一日とか新月という意味がある。10月1日は新月の日でもあったし、誕生日が名前と揃ってちょうどいいので、前日からずっと「明日出ておいで」「明日だと名前と揃って気持ちいいよ」「かっこいいよ」とお腹に呼びかけてたら、見事その日に陣痛が来た。

れんたろうのときにも、「三連休明けに生まれておいで」と呼びかけたらその通りに生まれてきたので、声かけが効果あるというのは、あながち嘘でもないんじゃないかなと思う。

 

 

ところで、陣痛が来るまでそれがどんな痛みなのかを、すっかり忘れてしまっていた。今回もう一度体験して「ああそうそう、こういう痛みだった!」と思い出した。ので、それを覚えているうちに書いておこうと思う。

 

まず、痛みの強さだけど、ものすごく痛い。

人生でこんなに痛い思いをしたことはないってくらい痛い。

あまりの痛さに気を失いそうになったり、吐きそうになったりする。

助産師さんに「静かで落ち着いてはるママさんやわ」と言われたけど、実際には痛くて何も言えなかっただけだった。

 

 

次に、痛みの種類だけど、これはものすごい鈍痛。

お腹の中にいるとっても大きなものが、体内のやわらかい場所をかきわけながら骨盤をめがけてずいずい進んでくる。

まさにその痛み。骨盤が広げられて、腰が砕けそうになって、これ物理的に無理じゃないかな?って思った。

痛みで意識が遠のきながら、「与謝野晶子はすごいなあ…」って思った。12人のお母さんですからね。

 

 

最後に、痛みのピークはいつかというと、これは完全に赤ちゃんが出る直前だった。

痛くてほとんど声が出なかったわたしだけど、このときだけは「いたい」と。「ほんとに、いたい」と、はっきり言った。

腰が音をたてて粉砕するかと思った。本当に。

夫と廉太郎が立ち会っていたので、廉太郎をあまり怖がらせないように、と思ったのだけど、最後はそんなのかまってられなかった。

 

 

 

痛い痛いと言って、これから出産する方を怖がらせてはいけないのだけど、出産は痛いものだ。

自然分娩も痛いし、聞くところによると、帝王切開もそうとう痛いらしい。

 

でも、今回の出産でふたつ発見したことがある。

ひとつは、この痛みを「意味のあるとても大事なもの」と受け入れられたら、痛いのが少し気持ちよくなるということだ。

こわいこわいと思っていると、余計からだがこわばって痛くなる。

でも、自ら痛みを取りに行くくらいの勢いで受け入れると、力がいい具合に抜けて、とたんにふわーっと気持ちよくなるのだ。

これは大発見だ!と思ったわたしは、途中で陣痛ハイみたいになって、急に「すごい、今幸せかも」と思った。ちょっと笑ってて気持ち悪かったと思う。

あとから院長から、出産中はそういう幸せなホルモンがどばっと出て、痛覚を麻痺させるんだって聞いた。

だから、現在妊娠中のみなさん、安心してください。痛いけどきっと大丈夫です。

 

もうひとつの発見は、「いきむ」ってどういうことかっていうことだった。

普通「いきむ」と聞くと、息をとめて腹筋に力を入れる感じをイメージすると思う。

だけど、出産の「いきむ」は違う。

まず、息をとめない。ずっと吐き続ける。

そして、腹筋の外側ではなくて、内側から力を与える。外からぎゅって圧をかけるのではなくて、内からゆっくりじんわり、力を添えていく感じ。

それを繰り返していくうちに「わたしは、赤ちゃんを出すんじゃなくて、赤ちゃんが出るのを手伝うんだな」ってわかった。

あくまで主は朔太郎で、わたしはそれに寄り添うだけ。

今回の出産で学んだいちばん大きなことはこれだった。

 

そしたら、朔太郎がぐぐぐ、ぐぐぐ、と進んでくるのがすごくクリアにわかった。

彼の動きに合わせて、わたしが力を添えてあげる。

お腹に手をあてて、「がんばれーあと少しだよー」って自然に言葉が出た(声は出なかったけど)。

れんたろうのときには、いっぱいいっぱいでできなかったことだ。

出産も成長して変化するんだ、って思って、このときはかなり嬉しかった。

 

 

 

生まれた朔太郎は、羊水でむくんだ顔をむちゃむちゃにさせながら泣いていて、すごく可愛かった。

初めて見る顔、初めて聞く声。

でも全然初めてじゃない気がするのは、これまでずっとお腹の中にいて、今一緒に思い切りがんばったからだねえと思った。

 

助産師さんが、生まれたばかりの朔太郎を布で拭いて、わたしの胸に抱かせてくれる。

朔太郎はあったかくて、血のにおいがして、一生懸命呼吸していて、抱っこするとすうっと泣き止んだ。

廉太郎が耳元で、「あかちゃん、かわいいね」と言った。

朔太郎の顔は、廉太郎が生まれた頃の顔にそっくりだった。

 

 

後産で出してもらった胎盤は、ふわふわで、つるつるしていて、あたたかそうだった。

これからは、わたしたちの家が胎盤になる。あたたかく包んで、栄養を吸収できる場所。

そしていつか、またそこから出ていくときには、産んだときみたいに内側からゆっくりと、じんわりと、力を添えられる存在でありたいなと思う。

 

 

 

ふたりの息子よ、母はがんばるよ。

これからもよろしくね。

 

 

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