音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

遊びに来た子どもたち

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朔太郎が生まれてから1ヶ月半が経った。

朔太郎はよく泣く子だ。抱っこをやめると泣いてしまうので、寝ているとき以外はほとんど膝の上に乗せるか、バウンサーという椅子に乗せて揺らしていなくてはいけない。

それでも精神的には平気だ。肉体的にはやっぱりしんどいけれど、いらいらするとかうんざりするとかはほとんどない。「泣き顔もかわいいなあ」と思う。

 

 

 

産院から退院した日、廉太郎と三つの約束をした。

 

1、首がぐらぐらして危ないから、抱っこをするときは大人と一緒にすること。

2、病気がうつるから、帰ったら手洗いうがいをすること。

3、頭の骨がふさがっていないから、頭の真ん中は触らないこと。

 

この3つは必ず守って、朔太郎の世話をしてね、とお願いした。

廉太郎は朔太郎の世話がしたくてしかたなかったので、「だっこはおとなと」「てあらう」「あたまはさわらない」と3つちゃんと覚えた。「肌着はズボンの中に入れる」とか「歯磨きのあとは顔を洗う」とか「靴は逆に履かない」とかは何度言っても忘れるのに、この3つは今でもちゃんと覚えている。

 

廉太郎は、弟をとてもかわいがっている。

毎朝起きると頬ずりをしに朔太郎を訪れ、保育所で別れるときも頬ずりをしてから手をふる。迎えに行ったらまた頬ずり。部屋で泣いていたらバウンサーをゆらゆら揺らしたり、いないいないばあをして泣き止ませてくれる。「わらったよー!」と部屋から台所に声が届く。

 

そんなに良い子なのに、わたしは廉太郎をよく怒るようになってしまった。

廉太郎の赤ちゃん返りはほとんどないので、これは彼が変わったのではなくてわたしが変わってしまったのが原因だと、自分でわかっている。

 

朔太郎が生まれて、廉太郎がすごく大きく見えるようになった。そうなると、いろいろできて当たり前のように見える。ごはんをこぼさずに食べたり、気温に合わせて服を選んだり、それを正しく着たりすることが、できて当然なような気がしてくる。

「早くしなさい」

「ひとりでしなさい」

「何回も言わせないで」

そういう言葉を何度も言うようになった。

 

 

この間晩ごはんを食べていたとき、ごはんが食べるのが遅いと怒り、野菜を残さないでと怒って、やっと食事が終わると思ったら、最後に廉太郎がお味噌汁のおわんを手から滑らせて、買ったばかりのこたつぶとんにぶちまけてしまった。しーん、と、漫画みたいにその場が静かになった。

 

わたしは大きなため息をついて、黙ってぞうきんを取りに行ってふいた。

「ごめんね」とお箸を持ったまま言う廉太郎を無視してごしごし拭いていたら、廉太郎がぼろぼろと涙をこぼして「おみししるこぼしてごめんね、おみししるこぼしてごめんね」と何度も言った。

 

それを聞きながら、「ああ、この子はまだ、お味噌汁のことを『おみししる』って言ってる」と思った。

『おみそしる』がまだ言えないんだ、この子は。

そう思った瞬間、廉太郎がまだ4才なのだということにようやく気がついた。

 

31才のおとなが、4才の子どもがちゃんと食べられないことを怒っている。なんてばかなんだろうと思った。それで「ママも、廉太郎にいっぱい怒ってごめんね」と言った。

「仲直りしよう」と言ったら、廉太郎が「いーいーよー」と、泣きじゃくりながら節をつけて言ったので、笑った。

 

 

最近わたしが笑うと、廉太郎は「いまわらった?」と聞いてくる。

テレビを見ているとき、廉太郎がおかしなことを言ったとき、朔太郎が変な顔をしたとき、わたしが笑うと、廉太郎は「いま、なんでわらった?」と聞いてくる。うれしそうに。

「笑ったよ」と答えたら、「ママがわらうと、うれしい」と廉太郎が言った。

そして「もっとえがおみせて」と言うので、すごくびっくりした。

 

 

産褥期は、夫方の家にお世話になった。

それで夫の実家にある本棚から漫画や小説を拝借してよく読んでいたのだけど、その中に『その女、ジルバ』という漫画があった。作中に、こういう台詞が出てくる。

 

「楽しめばいいのよ。

 この世には遊びに来たの。

 踊って転んで笑って それで80年よ」

 

そうか、この世には遊びに来たのか。と思って、隣で寝ている自分の子どもたちの顔を見た。

この子たちも、わたしのからだを通してこの世に遊びに来たのか。

 

ときどきその台詞を思い出す。廉太郎を連れて、朔太郎をベビーカーに乗せて、保育園から帰るときなんかに思い出す。

人生が80年だとしたら、わたしがこの子たちと一緒にいられるのはその何分の一だろう。一緒に遊べるのは、せいぜいあと10年くらいだろう。

廉太郎が葉っぱを拾って、「みてー、にんじゃー」とか言って手裏剣みたいに投げている。朔太郎は上着の襟元をぱくぱく口で吸っている。

遊びに来たのだから、めいっぱい楽しめばいい。真面目くさってけちけちしてないで、一緒にいっぱい笑えばいい。

息子たちの顔を見ながら、そういうことを自分に言い聞かせている。

 

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