「選ぶ」の練習、「出会う」の練習2018.9.10
まだ廉太郎が保育園に通っていたときだったと思う。
コンビニで廉太郎に「好きなお菓子選んでいいよ」と言ったら、ずっと悩んでいたことがあった。
あんまり長く悩むので、
「早くしてよ」
とイライラしてしまったのだけど、廉太郎は本当になかなか選べないようだった。
コンビニを出たとき、廉太郎が
「だってぼく、えらぶのにがてやねん」
と泣きそうな顔で言った。
その顔をみて、「ああ、これは悪いことをしたな」と思った。
うちは買い物を、生協の宅配で行っている。
それなので、スーパーやコンビニに行く機会がかなり少ない。
子どもたち用のお菓子は生協で買ったり、人からいただいたものがほとんどで、廉太郎は「自分でお菓子を選ぶ」ということをほぼしたことがなかった。
つまり、「選ぶ」という練習をさせたことがなかったのだ。
それは時間かかるよな、と思って反省した。
それ以来、なるべく買い物の際には廉太郎に選ばせるようにしている。
「好きな本一冊買ってあげる」とか「好きな靴選んでいいよ」とか言って。
ときおり、というかほとんどの場合、彼の選んだものはわたしの意に沿わないし、趣味に合わない。
好きな本と言えば付録をたっぷりつけた『テレビくん』を持ってくるし、好きな靴と言えばぎらぎらに光っている「シルバーがかっこいい」靴を持ってくる。わたしは「絵本にしてほしいなあ」とか「ニューバランスとかナイキのほうがおしゃれなのになあ」とか思うのだけど、そこはぐっとこらえて財布を出す。
大事なのは「自分が選ぶ」ということ。そして、「自分が選んだものをそばに置く」という体験を、積み重ねることなのだ。
人生というのは「選ぶ」の連続であると思う。
何を手に入れ、誰と付き合い、どう行動するか。
何もかもを自分の思う通りにすることはできなくても、与えられた条件のなかでより良いほうを、より好きなほうを選ぶことはできる。
そしてその「選ぶ」は、ちゃんと練習しておかないとできない。
自分の好きな色、好きな形、好きな人、好きな考え方。
それがちゃんとわかるのは、きちんと「選ぶ」ことを任され、やってきた人だけなのだと思う。
このあいだ、デザイナーさんと打ち合わせをしていたら、
「おもしろそうな本って、見つけるの難しい」
という話になった。
本屋さんを歩いていても、どの本が自分にとっておもしろい本なのか、見分けるのが難しいと彼は言うのだ。
「土門さんは本が好きだから、そんなことないんだろうけど」
と言うので、そんなことないですよ、と答えた。
「おもしろそうな本を見つけたときって、本に呼ばれた、って思うんですよ。だけど、本を読まなくなったり、本屋さんに行かなくなったら、すぐその声って聞こえなくなってしまう。だから、運動神経みたいなものなんだと思います」
そうしたら彼は、確かにそうかも、と言った。
「最近よく本を買うようにしているんだけど、だんだんね、自分が読みたかった!って本に会えるようになってきたんだ。上手になってきたのかな」
それを聞いて、わたしは「よかった」と笑い、
「いい本に出会うのも練習ですよね」
とふたりで話した。
人生というのは「選ぶ」の連続である、と書いたけれど、こうとも言えるかもしれない。
人生というのは「出会う」の連続である。
これもまた、待っているだけ、与えられているだけでは得られない力だ。
そしてもしかしたら、「選ぶ」をやってきた人だけが、「出会う」ができるのかもしれない。
わたしはできるだけ今のうちから、子どもたちにその練習をさせてあげられたら、と思う。
週末、廉太郎と図書館へ行った。
練習の甲斐もあり、廉太郎はもう自分の読みたい本を見つけられるようになっている(廉太郎は、外国のファンタジー作品を選んだ)。
ひとつレベルをあげてみようと思い、赤ちゃんの本棚の前に連れていった。
「朔太郎に、本を選んであげて」
すると彼は『げんきなマドレーヌ』を選んだ。
理由を聞くと「おおきくてめくりやすそうだから」と言う。
てっきり内容で選ぶと思っていたので、おもしろい選び方だな、と感心した。
わたしは『うさこちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん』を朔太郎に選んでやった。朔太郎はうさこちゃんが好きなのだ。うさこちゃんのことを「にゃーにゃ」と呼んでいるけれど。
「朔太郎、喜ぶかな」
そう廉太郎に尋ねると、
「わからん」
と、ちょっとはにかみながら答えた。
まだ見せていないので、今夜見せてみようと思う。
自分のために選ぶことも、人のために選ぶことも、練習すれば上手になる。
そして好きなものを「選ぶ」ことが上手になれば好きなものに「出会う」ことも上手になってきて、そうすれば人生はとても楽しい。
なぜなら、人生は「選ぶ」と「出会う」の連続でできているから。
その集積が自分の好きなものだったら、どんなにいいだろう。
少しでも楽しいほうへ、少しでも善いほうへ、少しでも美しいほうへ。
子どもたちが選び、出会った道が、そんな場所へと続いていったらいいなと思う。