「えがお」2018.10.10
廉太郎との関係が、大きく変わってきているのを感じる。
何がどう変わっているのだろうか。
今までここにずらずらと書いていたのだが、しっくりこなくて全部消してしまった。
まわりくどい言い方じゃなくて、率直に書いてみよう。
率直に書けば、廉太郎が「かわいい」存在ではなくなってきた、ということだ。
多分、ちゃんと成長しているということなのだろう。
小学生になり、学校という社会に出た彼に対し、憎らしいとか、かっこ悪いとか、しょうもないとか、そういうことを思うことが増えてきた。
「かわいい」というのは「可愛い」と書く。
「可愛い」というのは、愛せるということ、愛でることができるということだ。
「わたしに属するもの」はかわいい。わたしの範疇を出ないから、心を乱されることはないから、愛することができる(今2歳の朔太郎がそうだ。朔太郎はまだ、わたしの心を乱さない)。
でも、「わたしに属さないもの」は時にかわいくない。なぜならわたしの範疇を出るから。
わたしの想像を超え、予想を裏切り、不安がらせ、傷つけ、苛つかせるから。
廉太郎は、そういうことを日々繰り返し、順調に「他人」となっていっている。
多分わたしが、まだそれに追いついていないのだろう。
廉太郎といるとき、感情的になることが増えてきた。
「なんでそんなことするの」
「なんでそんなこと言うの」
まだ廉太郎を「わたしに属するもの」だと思っている。だから、彼が自分からはみ出すと、わたしは心を乱される。
「ママのどこが好き?」
わたしの母がこのあいだ京都にやってきて、廉太郎にそんな質問をしていた。
わたしはそれを聞きながら「逆に自分が廉太郎のどこが好きか尋ねられたら、なんて答えるかな」と考えていた。
「面倒見がいいところ」とか「あいさつができるところ」とか「やさしいところ」とか。
すると廉太郎は、こう答えた。
「えがお」
えっ、とわたしは思わず声をあげた。本当に驚いて。
彼はわたしの「いいところ」をあげるのではなく、ただ「笑顔」と答えたのだ。
わたしはそのとき、全肯定されたような気持ちだった。
本当にびっくりして、本当に嬉しかった。
廉太郎を怒っているとき、わたしはそのときのことを思い出す。
そしてすごく泣きたい気持ちになる。
あのときわたしは自分に都合のいい条件つきの「好き」しか思いつかなかった。
「えがお」
そう答えてくれた廉太郎に、同じ答えを返したいと思った。
わたしは廉太郎を「自分に属するもの」か「自分に属さないもの」で見ているけれど、
廉太郎にとってわたしは「まったく自分と同じもの」でありながら「まったくの他人」なのかもしれない。
だからわたしに、ただ笑ってほしいと思うのかもしれない。
自分もそう答えられるようになりたい。
彼を怒りながら、泣きそうになりながら、いつもそういうことを考えている。