「習いごと」という贈り物2018.12.10
子どものころ、習いごとをしたことがなかった。
放課後がガラ空きなので、いつも誰かを誘っては校庭や公園で遊んでいたのだが、クラスのみんなは何かしら習い事をしていたので、常に暇なのはわたしだけだった。
なになにちゃんは火曜と金曜がバレエ、なになにちゃんは水曜が習字、なになにちゃんは月木が塾で、水曜がピアノ。というふうに、友達のスケジュールは完璧に頭の中にあるのだが、自分のスケジュールだけはずっとガラ空き。だから、「今日はピアノなの」とか言って遊びを断る友達のことを格好いいと思っていた。
習いごとをしたことがなかったのは、単純に家庭に経済的余裕がなかったからである。
父も母も、「これをやってみないか」と言ったことがない。
それはお金がないのはもちろん、父と母自身が習いごとをしたことがないので、その必要性や恩恵を知らなかったからだと思う。
そしてわたしもまた子どもであったので、その必要性や恩恵が具体的にどういうものなのかがわからなかった。
わたしたちにわかるのは、入会金や月謝が「払えるかどうか」だけだった。
だけど、払えたとしても、わたしがピアノをやる意味があるのか?
生活費を逼迫してまでわたしが習字を、水泳を、算盤を、バレエをやる必要があるのか?
そうなるとやっぱり「ない」になる。だって、みんな知らないのだから。その必要性を、その恩恵を。
だからいつも放課後はガラ空き。遊ぶ子がいないときには近所のひとにかまってもらって、「昔はだーれも習いごとなんかしやせんかったで、のびのび遊ぶんが一番よ」と言ってもらって溜飲を下げていた。
だけどなんとなく、みんな違う世界のことを知っているんだな、という疎外感はあった。
学校以外のちがう空間で、学校で習わないことを習っている。
いやいや行っている子も多かったけれど、それでもその子たちの血肉となっている「絶対に必要性があるとは言えない」教育が、知らず知らず彼らに美しい贅肉として身についていっていることは、多分、その子たち自身よりもわたしのほうが感じ取っていた。
卑屈になりつつある自分をなんとかしたかったのもあるのかもしれない。
こんなに卑屈になるのならひとつだけでも無理言ってやらせてもらおう、と小5だか小6のときに思って、公文式の英語をやりたいと母に申し出た。
家が近かったので交通費がかからないとか、月謝が安いとか、英語だったらそのうち絶対に必要になるから、才能がなくても成績には反映され無駄にはならないから……などなどプレゼンしたが、全部自分で自分を鼓舞するための言い訳だったのだと思う。
今思えば、自分への投資の瞬間だ。公文の教育方法の有意義さも知らないし、グローバル社会がどうのなんてことも想像もできない。ただ、自分の人生のためにお金を使いたい。義務教育以外の何かを学びたい、言葉にはしていなかったけれど、そう思っていた気がする。
習いごとへと向かうわたしは、なんだか将来有望で大事に育てられている、かしこい子どものようだった。
英語なんて習わなくてもいいのに習わせてもらって、お嬢様みたいだなって思った。
わたしは一度も休まず、宿題も真面目にやっていった。公文式は向いていたようで、その後の中高では英語の科目がいちばん成績が良かった。母が喜んだので、わたしはほっとした。
公文を辞めたあと、高校の時にもうひとつ習いごとをしたいとピアノを習わせてもらったことがある。
だけどこのときに痛感したのは、「子どもの頃からやっている子には叶わない」ということだった。
15もすぎると「この曲を弾きたい」とか「音符を読めるようになりたい」とか明確な目的がないとあの中では続けられないように思う(多分大人のヤマハ教室とかに行くべきだったのだろう)。
明確な目的を必要とせず幼いころからピアノを叩き込まれた人たちの中で、わたしは完全に異質だった。練習に行くのが辛くて一年もせずに辞めた。
公文とピアノ。
わたしの習いごとはこのふたつだけである。
子どもが生まれてから、習いごとをどうするかについて何度も考えた。
自分の今と過去を正当化したいなら「習いごとはさせない」という答えもいいのかもしれないが、自分の知っている知見はあまりに狭すぎるという自覚があったので、どうすればいいのかいまいち納得のいく答えが見つからないままに、廉太郎が小学生になった。
そんなときに、町内で飲み会があったのだ。
そこに来た近所の家の息子さんである高校生の男の子が、挨拶がしっかりでき、小さな子どもの面倒もよく見、よく笑う朗らかな子であったので、ふと、その子に聞いてみようかと思った。
「この習いごとはさせてもらってて良かったな、あるいは、この習いごとはさせてもらいたかったな、ていうのはありますか?」
職業病なのか、完全にインタビューである。自分でもおかしかったが、彼はわたしの質問にとても丁寧に明確に答えてくれた。
彼はこう言った。
「自分は水泳しかしたことないんで、ほかのことは語れないんですけど、水泳は幼い頃からやっていて本当によかったって思います」
彼が言うには「自分の体の使い方がわかった」「基礎体力がついた」「できないことができていく過程で自信がついた」ということだったのだけど、それを聞いて、全部昔のわたしが欲しかったものだなとなんだかしみじみしてしまった。
水泳の習いごとをわたしは「別に海に行く用事もないのに、泳げるようになっても無駄だ」ということでシャットダウンしていた。でもそういうことじゃないのだ。泳ぐことを学ぶんじゃない。自分の体の使い方をわかるために、できないことをできるようになっていく過程を経験するために、水泳という習いごとはあるのかもしれない。それがわかるのは、実際にやったことがある人だけなのだ。
わたしがピアノをすぐ辞めてしまったのは、それがわからなかったからだし、多分、それが身体的にわかっている人たちに囲まれていることに無意識のうち劣等感を覚えたからなのだろうな、と思った。
わたしも今は、編集者にすすめられてジムに通って水泳をしている。習うのではなくただ歩いたり、唯一できるクロールで泳いでいるだけだが、身体性は体を使うことでしか獲得できないという当たり前なことをそれで知った。
「身体性」という言葉をつかうと、高校生の男の子が「それですそれです」と言った。
ずいぶん年の離れた子に伝わったことが嬉しかった。
だけど、多分その子のほうがずっとずっとわかっているのだろう。
わたしは素直にその子のことが羨ましいなと思った。
それで、
「廉太郎にも水泳をやらせてみよう」
と決めたのだった。
予想はしていたが、廉太郎は「行きたくない」と言った。
行きたくないものを無理やりお金を払ってまで行かせるなんて、普段ならそこで心が折れそうになるが、今回はもう決めたのでやめなかった。
「これは決定事項です。うちの子はみんな水泳を習います。ママは小さいころ水泳をやってなかったけれど、今はぼんやりわかる。水泳は、やったほうがいい。絶対にあなたのためになる。朔太郎にも習わせるよ」
言いながら、なんて独裁的だろうと思い心の中で苦笑する。
だけど、わたしはこういうふうに言ってほしかったんだなと思った。
大人の言う「これはやっておいたほうがいい」を無理やり押し付けてほしかった。
「ママが責任もって日曜日のプールに連れていく。終わるまで待ってる。終わったら一緒に帰ろう。だから頑張って行こう」
廉太郎はしぶしぶうなずいた。
受付で入会金と月謝を支払い、廉太郎をたくさんの子どもたちの輪の中へと送り出す。
規定の水泳帽をかぶり、バタ足をしている廉太郎を見学席で見ながら、自分はこれをしてほしかったし、自分はこれがしたかったのだと思った。
エゴだろうか。エゴかもしれない。
これは自分のためにやっているから。
わたしは、わたしにはそういうことわからないからと言って、閉じたり卑屈になったりするのがいやなのだ。
持たされたものしかあげられないなんて、そんなの本当じゃない。
こんな貧相な自分でも、欠けているところばかりの自分でも、子どもに何か贈り物ができないか。
そう思っている、いつも。
子どもを育てるって、もう一度子ども時代を生き直すみたい。
そういう言葉を聞いたことがあるが、本当にその通りだなと思う。
この「水泳という習いごと」は今のところ唯一、「いらない」と言われているのに廉太郎にあげているプレゼントだ。