水を飲まない子と水辺で笑うこと2019.9.1
廉太郎の夏休みが終わった。
「小学生の夏休みの宿題」というのが苦手だ。もっと言えば「自由研究」がめちゃくちゃ苦手だ。
自分が小学生のころから苦手だった。そのことを、子供が小学生になってから改めて思い出した。
「自由研究」というのは、小学生がひとりでやるものではない。親の介入が求められているものだと思う。
夏休みのしおりの「自由研究」という項目には、貯金箱を作りましょうとか、動くおもちゃを作りましょうとか、ポスターを作りましょうとか書かれてある。小二の男の子が、果たしてその中のひとつでもひとりで成し遂げられるのかというと、なかなかに難しい。親が一緒に考えて、作ってあげなくてはいけない。これがわたしは、ものすごく苦手なのだ。
わたしが小学生だったころ、両親はわたしの勉強や宿題に関してほとんどノータッチだった。「勉強しなさい」とか「宿題しなさい」とか言われたことは一度もない。言われなくてもやっていたからというのもあるけど、両親ともに勉強が得意ではなかったからというのが大きい。両親は「自由研究」と聞いても何をするのか見当もつかないようだった。
わたしはといえば、「これをやりなさい」と言われたら素直にやる子供だったけれど、「自由にやりなさい」と言われたらかたまってしまう子供だった。自由にやるにはまず型を知らなくてはいけない。型も知らないのに「自由にやりなさい」と言われても、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。
型を知らないわたしたち家族は、ただただ途方にくれた。だから毎年、レポート用紙に向かうのが苦痛でしかたなかった。
夏休み明け、友達の見事な自由研究に圧倒された。「ああ、教育熱心な親御さんなんだなあ」と子供心に羨ましかった。こういうのはうちには無理だなとすぐに諦めがつき、「自分が親になったときには、こういう親になれたらいいな」と思った。あれからわたしの「自由研究コンプレックス」が始まったのだと思う。
だからなのか、今「自由研究」を前にすると、そのときのことがまざまざと思い出され、自分が親としての能力を問われているような気がしてしまう。
あなたは子供の好奇心を鼓舞することができますか? あなたは子供が最後まで書き上げられるよう導くことができますか? あなたは昔自分が憧れた「こういう親」になれていますか? それはなんだか、すごく辛いことだ。
廉太郎はといえば、「自由研究」にまったく興味がないようだった。
どれがやりたいかと聞けば「ポスターかな」と言うが、何を描きたいかと聞けばとくにないと言う。「こんなのはどう」「こう描いてみたら」といろいろと提案してみたが、どれにもとくに心が動かされないようで、わたしが試しに描いてみると、「お母さんのようにはうまく描けない」と言って泣き出してしまった。
わたしにはどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。まるで自分が「こういう親」になれていないことを指摘されているようで、それがすごくいやだった。焦り、いらいらし、廉太郎とのあいだには険悪な空気が漂った。お手上げだなあと思った。
「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」
何かの本で読んだそのことわざを、わたしはそのとき思い出した。今わたしのやっていることは、水を飲め飲めと馬の頭を無理やり水中に突っ込んでいるようだなと思う。
でも、じゃあ、どうすればいいんだろう?
そのときようやく「そっか、できないんだ」とわかった。「わたしにできるのは、ここまでなんだ」と。
水辺まで連れてきても、ごくごくと水を飲むのは子供であって、わたしではない。水を飲ませられるのが理想の「いい親」だと思っていたけれど、子供が喉が乾いていないなら、それはもうどうすることもできない。乾くまで待つしかない。
子供が水を飲まなくても、水辺で朗らかな時間が流れていたなら、それがいちばんいいのかもしれないな。
そのときふとそう思った。
そしてわたしが今なりたいと願うのは、子供に水をがんがん飲ませられる親ではなく、子供と水辺で朗らかに笑える親なのかもしれないなと。
そう思って、わたしはふてくされている廉太郎のとなりで、朔太郎と一緒にお絵かきを始めることにした。
朔太郎にクレヨンを持たせ、コピー用紙の裏側に自由に線を引かせる。わたしは朔太郎の似顔絵を描いてやる。
それを見た廉太郎が「それ朔太郎?」と少し笑った。「そうやで」と言うと、「けっこう似てるね」と言う。
そしてやっと「ぼくも描こう」とつぶやき、自分もポスターを描き始めた。
ああ子育てって、大変だな。
三人でテーブルにお絵かきしながら、しみじみと思った。
でも、わかったり思ったりすることって、いっぱいあるな。
1年後にはまた夏休みが来る。
そのときには、どんなことを思っているんだろう。