音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

「応援」と「無理強い」の境目

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廉太郎は週に1度プールに通っていて、そろそろ1年になるのだけど、「やめたいなあ」とずっと言っている。
理由は「先生が怖いから」。「怒られるの?」と聞くと「怒られない」と言う。「じゃあ何が怖いの」と尋ねたら、「他の子が怒られるのを見るのがいややねん」と。きつい言い方で怒っている人と怒られている人を見るのが、いやなのだという。

 

それでもせっかく入ったのだから、わたしとしては続けてほしい。怒られているのは他の子なのだし、いずれ慣れるんじゃない? そう思って「四泳法で25m泳げるようになるまでがんばりなよ」と言った。泳げるようになったら楽しくなるだろう、という目論見だ。廉太郎はしぶしぶ通っている。

 

というような話を、この前、美容院に髪を切りに行ったときにした。
美容師さんとは15年ほどの付き合いがあり、お互いに歳の近い子供がいる。普段とても温厚な人で、断定的なことをあまり言われたことがないのだけど、彼はこのとききっぱりと、
「それは、辞めさせたほうがいいです」
と言った。

 

びっくりして、「え、ほんとですか」と言った。
予想では「慣れるまで大変ですよねえ」とか「泳げたら楽しくなりますよ」とか、そういう答えをもらえると思っていたので、動揺してなぜか言い訳をしてしまった。
「オリンピック選手とかも輩出していて、スパルタなところではあるんですけど、地元の人たちにはすごい信頼されているんですよ。わたしもいろんな人に勧められたので……」

だけど美容師さんは力強く首を振り、
「廉太郎くんは『先生が怖い』って言っているんですよね? それは先生と廉太郎くんが合わないってことです。それはもう、辞めさせるべきです」
と言った。

 

「学校とか部活とかを辞めたくなるときって、いろんな要素がありますよね。でも大きくは『やっている内容』『友達』『先生』の3つに分けられると僕は思っています。で、そのうち『内容』と『友達』は、自分の努力や工夫次第でどうにかなる可能性が高いんです。練習してうまくなったり、やり方を変えてみたり、グループを変えてみたり。だけど、唯一変えることができないのが『先生』です。これだけは、廉太郎くんにはどうしようもない」

 

彼はハサミを持つ手を止めて、真剣な顔で言う。鏡越しに気圧されながら、わたしは「なるほど」と小さくつぶやいた。

 

「合わない先生に教わるって、すごく苦痛ですよ。もともと好きだったことも、嫌いになっちゃう。それって、めちゃくちゃもったいないことですよ。だから、先生と合わない場合には、僕はすぐに辞めさせようと思っているんです」

 

 

それから再び彼はハサミを動かし始めた。わたしは何も返す言葉がなく、ただただ「その通りですね……」と言うしかなかった。
そのとき気づいたのは、自分は自分のために廉太郎を辞めさせたくないのだ、ということだ。
わたしは、「せっかく入会手続きをして環境にも慣れてきたのだから、途中でやめるのはもったいない」とか「すぐに辞めさせて、辞め癖がついたらどうしよう」とか、自分のことばかり考えているなと思った。そのことが美容師さんに見透かされたみたいで、だからわたしは言い訳をしたんだと思う。

 

「自分の努力や工夫次第でどうにもできない所に置かれるのは、拷問みたいなもんですよ」

美容師さんはそこまで言った。顔は笑っていたけれど、わたしはその言葉がとてもこわかった。拷問。本当にその通りだなと思ったからだ。

 

 

 

それで、帰ってから廉太郎に「プール、やめる?」と聞いてみた。
廉太郎は「うーーん」と言う。
「先生が怖いんやろ?」と尋ねると、
「怖い先生と、優しい先生がいんねん」だそうだ。

 

「じゃあ、優しい先生がいる時間帯に行こうよ」

「そんなん、わかるかな」

「気をつけて見てればわかるよ。優しい先生のときは、楽しいんやろ?」

「うん、楽しい」
「じゃあ、そうしよう。優しい先生がいる時間を割り当てる法則を見つけよう」

「ほうそく?」

 

廉太郎はよくわからない顔をしていたけれど、わたしは「努力や工夫次第でどうに」かできる糸口を見つけて、なんだか嬉しかった。
それをやり尽くしたうえでなおだめだったら、すっぱり辞めたらいい。

 

廉太郎はいまでも「プール、行きたくない」と言う。
でも、帰ってきたあとに「今日は楽しかった?」と聞くと「今日は優しい先生だから楽しかった」と言うようになった。どうやら、日曜の10時半が「優しい先生」の時間のようだ。

 

 

あのときの美容師さんの言葉は怖かったけれど、ずっと胸に留めておきたいなと思う。
きっとこれから、そういうときがなんども訪れるはずだから。

 

子供は自分で自分のいる場所を決められない。
だからこそ、親であるわたしが、そこにいるべきなのかをちゃんと考えないといけない。
そこにいることはトレーニングなのか、拷問なのか?

自分のしていることは応援なのか、無理強いなのか?

 

「応援」と「無理強い」の境目。
それを、ちゃんと判断できるようになりたい。

 

難しいなあと思いながら、水を含んで丸まった水着を洗う日々だ。

 

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