子供たちがわたしを見ている2020.3.11
うちのリビングには大きなテーブルがあって、わたしは1日の大半をここで過ごしている。仕事をしたり読書をしたりお茶を飲んだり。
子供たちもテレビを観る他はだいたいここに集まって、宿題をしたりお絵描きをしたりおやつを食べたりしている。
ときどき、仕事をしていると頭を抱えることがある。もう書けないだとか、やる気が出ないだとか。いつもスムーズに機嫌よく書いているわけじゃないし、むしろそんな時間なんてほとんどない。たいがいがうまくいかない時間だし、だからわたしはよくテーブルのところで苦渋に満ちた顔をしている。
そういうとき隣で遊んでいる廉太郎に「どうしたん?」と聞かれる。あわせて朔太郎も「どうしたん?」と。
「いや、なんでもないよ」と返し、ふたたび仕事に向かおうとするもやっぱりうまくいかないので、また頭を抱える。
すると廉太郎が「僕でよかったら話聞くけど?」と言う。朔太郎も「さくもー!」と言うので笑ってしまう。
それでなんとなく相談してみようかなという気になる。彼らはとても聞き上手だ。
このあいだもそんなことがあって、わたしが「あー」とため息をついていたら、彼らが話を聞いてくれた。
「なんでも相談に乗るで。お母さんはなにで悩んでるの?」と言う。
「そうやなあ、なんでこんなに悩んでいるのかなあ」わたしはそう言って考え、「本当はもっとたくさん書きたいのに、うまくいかないんだよね」と言った。
「なんかぜんぜん、思うように書けない」
廉太郎は「なるほど、それはつらいな」と言った。「うん、つらい」とわたしは答える。朔太郎はもう飽きたのかブロックで遊んでいる。
すると廉太郎が「僕からのアドバイスとしては」と言い出した。
わたしはとてもびっくりする。アドバイスしてくれるのか。
「ひとつめは、生活リズムをととのえること」
と廉太郎が言った。
「1日のスケジュールをたてて、それ通りに動くねん。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に文章を書くようにする」
なるほど、とわたしは答える。「それは大事だね」と。
「もうひとつは、1日あたりどれだけ書くか決めること」
廉太郎は真面目な顔で続ける。
「1日にどれくらい書けばいいのか考えて、それを毎日ちゃんとやる。そうしたらいつか絶対に完成するやろ?」
なるほど、とわたしはもう一度言った。内心とてもびっくりしながら。本当にその通りだ。この子はなんでそんなことを知っているんだろう?
「どう? 今ので悩みなくなった?」と廉太郎が言うので、「うん、なくなった」と答えた。
「ちょっとさっそく、手帳にスケジュールを書いてみるよ。廉太郎、ありがとう」
そう言うと廉太郎が「また困ったら、いつでも相談して」とちょっと照れ臭そうに言った。
「いいこと言うなあ、廉太郎は」
そう言って手帳を開いてスケジュールを立てていたら、ふと「あっ」と気づいた。
廉太郎が言っていた言葉は、わたしが夏休みや冬休みに彼に言い続けてきたことなのだった。
宿題の量が多いと言って泣いていた廉太郎にわたしはこう言った。
「まずは、1日のスケジュールを決めなさい。それから、1日やる量を決めて毎日続けなさい」
ちょっとずつでも毎日やれば絶対に終わる、とわたしは断言していた。
えー終わらへんよ、と言う廉太郎に、
「お母さんだって、そういうふうにして長い文章を書いているんだよ。見てみな、あの本」
と、わたしは棚に飾ってある分厚い本を指差す。
「最初は、あんないっぱい文章書けるわけないと思ってた。でも毎日コツコツ書き続けていたら書けたのよ。少しずつでもやっていけば、絶対にいつか終わるから」
すると廉太郎は、素直に本の背表紙を見つめながら「そっかぁ」と言った。
「お母さん、毎日書いてるもんな」
「そう、書いてる」
そのとき廉太郎のなかで、毎日ここで書いている母と、棚にある分厚い本が、つながったのだと思う。
だから廉太郎は、わたしが言ったことを覚えていたのだろう。わたしはすっかり忘れていたのに。
子育てって、親の姿を見せることなのかもしれない。
手帳にスケジュールを書き込みながら、そんなことを思った。
どれだけ口だけで立派なことを伝えても、わたしがそれを実行していなければ、子供にはきっと響かない。
自分が身を以て体現していることだけが、きっと子供にちゃんと伝わるんだろうなと思った。
廉太郎がわたしの手元を覗き込みながら、「僕も手帳ほしいな」と言い出した。
「一冊あげようか」と言うと「えっ、マジで!」と喜ぶ。
いただきものの手帳があったのでそれをあげたら、「うおー、初めての手帳だー」と笑っていた。
廉太郎はそこに読んだ本を記録するのだと言った。
「お母さんよりもいっぱい本読むねん」と、今年に入って読んだ本のタイトルを書き始めた。
それを見て「わたしも読んだ本のタイトル書こう」と真似をした。
向き合って真似っこをし合いながら、ああ、こういうふうに人は育っていくのかなと思う。
結局人に響くのは「より良くあれ」という言葉ではなく、「より良くあろう」とする行動なんだ。
「本を読め」ではなく自分が本を読むこと、「毎日やれ」ではなく自分が毎日やること。
それを目の前で見続けることで、多分子供は成長していく。
自分の「より良くあろう」という行動が、廉太郎の一部になっていて嬉しかった。
さあ、これからも頑張ろう。子供たちがわたしを見ている。