いつか、あなたのいい友人に2020.4.1
4月が始まった。
朔太郎はまつぼっくり組からもみじ組に進級し、今日から年少クラスになる。
これまではわたしが着替えなどの荷物を運んでいたけれど、今はおろしたてのリュックサックにそれらを詰め込み、自分で背負って登園している。
今日で朔太郎は3歳半になった。
もう自分で靴も履けるし(左右逆だけど)、ズボンも穿ける(前後逆だけど)。
横断歩道では止まって車を確認できるし、「くるまやで、あぶないで!」と警告をすることもできる。道行く人みんなに挨拶もできるので、初対面の方にびっくりされている。
まだオムツははずれない。よくお漏らししては「おしっこもれたろうになっちゃった」と言って泣きそうな顔をしている。それなのに、トイレに行くのはいやなのだと言う。
パンツが濡れるのがいやで、さっさとオムツがはずれた兄の廉太郎とは全然違う。朔太郎は、トイレに行くくらいならパンツが濡れる方がましなのだそうだ。まあいつかはオムツもはずれるだろうしと、わたしものんきに構えている。
そんな朔太郎は、最近お母さんいやいや期のようだ。
「お風呂入ろう」とか「一緒に寝よう」と言うと、「いやや」と断ってくる。断られるのは別にいいのだけど、
「おかあさん、いやや」
と、名指しで言われると傷つく。こんなに毎日世話しているのに「いやや」とは何事だろうかと思う。
廉太郎はそれを聞くと、
「そんなこと言ったらあかん。お母さんはいっしょけんめい僕らを育ててるんやから」
とかばってくれる。彼は昔から絶対的なお母さん子なのだ。
朔太郎には、それもおもしろくないらしい。廉太郎にたしなめられるとさらに
「おかあさん、いやや! いっしょいやや!」
と言う。
はじめは聞き流していたが、何度か言われるうちにだんだん悲しくなってきた。
疲れているときに拒否されたり否定されたりし続けると、なんでこんな仕打ちをされなくてはいけないんだという思いになる。
「おかあさん、いやや」
ともう一度言われたときに、反射的に「お母さんだって朔太郎いやや」と言い返してしまった。「朔太郎、きらい」と。
言ってからすぐ、「あっ」と思った。
きらい、とまでは朔太郎は言っていなかったのに、感情的になってついきつい言葉を使ってしまった。
朔太郎が、傷ついたような顔をする。少しひきつっているような笑い方。朔太郎は泣き出す寸前によくこういう顔をする。
わたしはその顔を見て、自分が情けなくなった。もう30も過ぎた大人が、3歳の子になんてことを言ってしまっているんだろう。
情けなくって、朔太郎よりも先にわたしが泣き出した。
朔太郎の不安そうな顔を見ながら、まったくわたしはつくづく母親に向いていないと思う。
優しくもないし、理性的でもない。すぐに怒って、落ち込んで、泣きだす。
子供のほうがよっぽど大人だと思いながら、その日はふて寝を決め込んだ。
ところで、朔太郎とわたしは性格がよく似ている。
主張がはっきりしているところ。甘えん坊なところ。大きな物音が苦手なところ。感情表現がストレートなところ。意地っ張りなところ。ショックなことがあったら引きずるところ。
だからわたしたちが喧嘩をするとなかなか収集がつかない。
「仲直りする?」と提案はするがわたしは決して謝らないし、朔太郎もやぶさかではない顔をしつつも決して謝らない。(ちなみに廉太郎は「なかなおりしよ、ごめんね!」と自分から折れてくれる子だった。そもそも彼とわたしは正反対の性格なので、あんまり喧嘩にならない)
今回もそうなるかな、と思っていた。朝起きたらいつもみたいに、なあなあで喧嘩が終わってるんだろうなと。
次の日の朝、わたしが台所で朝食の準備をしていたら、朔太郎がいつものようにぱたぱたと駆け寄ってきて、「おはよう」と言った。わたしが一番、二番目に朔太郎が早起きなのだ。
「うん、おはよう」
と返していつも通り抱きしめてやると、突然耳元で
「おかあさん、すき」
と言われた。
普段はそんなこと言わないので、びっくりして顔を見たら、
「おかあさん、なかなおり」
と泣きそうな表情で言ったのだった。
ああ、だめだな、と思う。子供から先にこんなことを言わせて。わたしはやっぱりだめだなあ。
「うん、仲直り。ごめんね。お母さんも、朔太郎大好きだよ」
朔太郎が泣き出す前に、抱っこしてぐるぐるまわった。すると朔太郎は、きゃーっと喜んで笑顔になった。泣くことも謝ることも忘れてほしいと思いながら、いっぱい髪の毛をなでた。
友人にいつだったか
「土門さんは、子供を『怒った / 叱った』じゃなくて、子供と『喧嘩した』って言うよね」
と言われたことがある。確かにそうだと、言われて初めて気がついた。
わたしは、うまく叱れない。母親として彼らをじょうずに育てることには、ほとんど自信がない。でも、彼らの年上の友人としてまずまず楽しく一緒に暮らすことなら、努力すればできるのではないかと思っている。
だから、うまく導くことはできなくても、どうか仲良く、喧嘩しても仲直りして、一緒に過ごせたらって。
今朝も、朝食の準備をしていたら朔太郎がぱたぱたと駆け寄ってきた。
火を使っているので立ったまま「おはよう」と言ったら、「だっこしてよー」としつこく脚にからまってくるので、火を止めて抱っこしてやった。
「朔太郎はまだまだ赤ちゃんだね」
と言うと、
「さくはもう、おにいちゃん!」
と言う。抱っこからおろすと、「ねえ、リュックして」と言われたので、彼の肩にかけてやった。
パジャマ姿の朔太郎は、リュックを背負って満足そうだった。
彼らが大きくなったとき、わたしとの思い出はどんなふうに残っているんだろう。
「あの人は泣き虫だったよね」とか「すぐ怒る人だったよね」とか言われるんだろうか。
いい母親にはなれないかもしれない。
でもせめて、悪くない同居人ではありたいと思っている。
喧嘩と仲直りを繰り返して、わたしも一緒に成長していく。
そしていつか、いい友人になれますように。