音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

受容とは、正しく認知するということ

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廉太郎は忘れ物が多い。

それはもう、びっくりするほど多い。

 

この間なんか、「明日の学校の準備できた?」と聞いたら「できた!」と元気よく答えたので放っておいたのだけど、社会と国語と算数の教科書と宿題全部、それから体操服を忘れたらしく、あまりに忘れ物がひどいので先生から連絡帳に「気をつけてください」とコメントがあったほどだった。

「できた!と言ったのはなんだったの?」と聞いたら、「できたと思ってた」としゅんとしながら答える。

最初はただのうっかりかと思っていたのだが、そんなことが何度も続くので、

次第に「これはもしかして、できていないことがわからないのではないか?」と思うようになった。

 

というのも、このあいだこんな記事を読んだのだ。

 

「『ビリギャル』坪田先生 子の自立心育む声かけ」

https://dual.nikkei.com/atcl/column/17/101200003/052600387/

https://dual.nikkei.com/atcl/column/17/101200003/052600388/

 

めちゃくちゃ良いことが書かれていたので、ぜひ前後編どちらも読んでいただきたいのだけど、
わたしが特に「なるほどなあ」と思ったのは後半の
「人間は、フィードバックを受けるとよりよくなる生き物です」

という部分。
鏡を見て口紅がはみ出ていれば直すし、ひげが伸びていれば剃るように、

「自分自身を客観的に正しく認知する力が身に付くと、子どもの才能が伸びていく」のだと言う。

 

 

この記事を読んで、
「なるほど、廉太郎は自分自身を客観的に認知できていないのかもしれないな」
と思った。

必要なものをすべて準備できている、と彼は思い込んでいるけれど、実際は忘れ物がめちゃくちゃ多い。
でも出かける前にそんな「自分自身を客観的に正しく認知する」ことができたら、対処ができる。

 

じゃあわたしがやってあげられるのは、「その認知を手伝うこと」なのではないか。

そう思い、一週間みっちり張り付いて持ち物の再確認をした。

「1時間目、国語。2時間目、算数」

とわたしが時間割を読み上げ、廉太郎がちゃんと揃っているか自分で確認する。

 

そうすることで、

「できたと思っていたけれど、本当はできていなかった」

「自分は違う曜日の時間割を見てしまったり、読み飛ばしてしまったりするんだな」

という事実を彼自身知ることができた。

 

また、その時気をつけていたのは、「ほら、できてないじゃん」とか「なんでそんなにうっかりしてるの?」と責めないこと。

記事にも書いてあったが、フィードバックは事実を伝えるだけでいい。

相手を凹ませていいことなんてひとつもないからだ。

 

そういったことを繰り返した結果、翌週からはこれまでよりも注意深くなったようで、忘れ物が格段に減った。

いまだにうっかりすることはあるけれど、

「自分はうっかりすることがあるのだ」

と彼はもう知っているので、素直に再確認するようになった。

 

自分のことを正しく認知するって大事だなあと思う。

それにより、傾向を知り対策が打てるから。

 

今回は彼の欠点の部分だったけれど、たとえば「絵がうまい」とか「走るのが速い」とか、長所でも同様なんだろうなと思う。

正しく認知することで、傾向を知り伸ばすことができる。

「正しく認知する」って、つまり「その子らしさを受容する」ってことなのかもしれないなあ。

 

過剰な期待や理想の押し付けはいらない。

ただその子がその子である、ということをきちんと認識した上で、

「こうするともっと楽しいね」「こうするとダメージが少ないね」

とコメントしていく。

 

それくらいがもしかしたらちょうどいいのかもしれないな。

ちょうどいいってすごく難しいんだけども。

 

だけどこの記事を読んでから、わたし自身にも変化があって、声を大きくして怒ることがずいぶん減った。
「大きな声を出して怒っていないか?」を、毎日ちゃんとチェックする癖がついたからだ。
わたしも自分を正しく認知して、少しでも良い人間に近づいていきたいなと思う。

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