生きるとは、失いながら守ること2020.11.1
コロナで中止かと思っていた保育園での運動会。
縮小しながらではあるけれど、今年も無事開催されて、年少クラスの朔太郎は前の日からずっと楽しみにしていた。
うちの保育園では毎年「運動会のがんばり賞」というのがあって、学年ごとに違うアイテムを保護者が手作りするのだけど、今年はそれがポシェットだという。肩にさげるタイプのポシェットで、お散歩に行くときなどに、どんぐりや石ころを入れるのに使うのだそうだ。おもて面にはその子の動物マークの絵を描いてくださいとあって、なんてかわいいんだろうと心がときめいた。お裁縫が苦手だけど、友達にミシンを借りたり絵を描いてもらったりするなどしてなんとか完成させた(けいこさん、ありがとうございました)。
それで当日。
いつもよりも少ない保護者席に座って、子どもたちが園庭で歌ったり踊ったり駆けたりするのを見る。朔太郎のクラスまでまだ時間があり、ぼんやりと年中や年長クラスの子たちを見ていたのだが、その姿に感動してついつい涙ぐんでしまった。
嬉しかったら笑い、悔しかったら泣き、恥ずかしかったら恥ずかしがる。親の顔を見るとすぐにぱっと顔を輝かせ、がんばらなくてはいけない時につい甘えて保護者席へ来てしまう。
自分の感情にひたすら素直な彼らを見ていると、そのあまりの純粋さに涙が出てしまった。なんでこう、こんなにも無防備でいられるのかと、心配になるくらいだ。でも、彼らがこんなにも無防備でいられるのは、わたしたち大人が彼らをちゃんと守っているから・受け入れているからなのだろう。左右両隣のお母さんやお父さんたちが、にこにこと笑って子供たちに「がんばれ!」と言っていて、わたしはその中でひとりひそかに涙ぐみながら、大人になるとはこういうことなのか、と理解できたような気持ちだった。
子供たちの純粋さ、無防備さは、年をとるごとに失われていくだろう。こんなに素直に笑い、泣く姿を見るのは、いつまで可能なのかわからない。わたしはとっくにそれを失ってしまったのは自覚している。だからこそ彼らのその純粋さ・無防備さが尊くて、わたしは「切ないな」と思った。生きていくことは失っていくことだ。でも、年をとって大人になれば、少しのあいだだとしても、自分が失ったものを持つ者を守ることはできる。
わたしの子供がわたしに気づき、「おかあさんや!」と高い声をあげる。
手を振ると嬉しそうに大きく手を振り返して、離れた場所からでもわかるほどに顔をにこにことさせた。朔太郎が参加するのは障害物競争で、けんけんぱをしたり、滑り台をよじ登ったりとするのだが、その間とても一所懸命で、慎重で、真剣な顔をしていた。そんな健気な姿を見ていたら、また涙が出てしまう。どうかこの子たちがこれからも今のように安心して暮らせますようにと思う。
終わったあとに、保護者が集まって頑張り賞を我が子に渡した。朔太郎はパンダマークのついたポシェットを首からさげてもらうと、「やったーやったー」とぴょんぴょん跳ねて笑った。布一枚で作った、わたしの手作りのポシェット。友達がステンシルで描いてくれたパンダマーク。それを彼はとても嬉しそうに受け取った。
「がんばったね、朔太郎。かっこよかったよ」
そう言って、朔太郎のむちむちのほっぺたをこねくりまわす。朔太郎は「さくたろう、おにいちゃんやねん」と顔をくちゃくちゃにされながら言った。それからわたしの手の匂いをかぐ。朔太郎は、わたしの手の匂いが好きだという。
後日、朔太郎を保育園に送ったときに、「運動会でうれしかったこと」というタイトルで、園児たちが描いた絵画が飾られているのを見た。そのなかに朔太郎の絵もあったので、近づいて見てみる。くるくると描かれた輪っかに、ちょんちょんと点がたくさん描かれていたので、園庭に集まった人を描いたのかなぁと思う。
コメントが書かれているのでそちらを見てみたら、朔太郎は「運動会でうれしかったこと」について、こんなふうに話していたようだった。
「ママがパンダのやつくれたのがうれしかった。ほっぺたこうやってしてくれた。ママだいすきやねん」
それを読んだら、ポシェットをあげたときのシーンが、朔太郎の視点から再生されたような気がした。朔太郎よりもずっと体の大きなわたしがしゃがみこんで、朔太郎に「がんばったね」と言いながらほっぺたをこねくりまわす。その手の感触、匂いまで、全部自分が体験したかのように感じ取ることができた。多分わたしが思い出したのは、朔太郎の記憶だけでなく、かつて自分が幼い頃に見守ってもらった記憶なのだろうと思う。
朔太郎もこれからどんどん大きくなり、今持っているものをどんどん失っていくんだろう。でもこの日に感じた喜びや、嗅いだ匂い、触られた感触は、きっと記憶のどこかに残る。いつかそのことを思い出さなくなったとしても、その儚い思い出が、彼の心を温めたらいい。
「ママだいすきやねん」
たとえ彼自身が忘れたとしても、その言葉がこれからもわたしの心を温めるように。