2020.7.6
限界突破のジャパニーズ・ラプソディ (by清政 光博)#みんfav
今回寄稿をお願いした清政(せいまさ)さんは、広島は原爆ドームを臨む本川町のレトロビルで『READAN DEAT』という書店を営んでいる。品揃えはいわゆる個人書店らしく、リトルプレスやZINEが豊富だ。また、併設されたギャラリースペースでは、写真や原画の展示が行われる。僕自身、のんべえ春秋、生活考察の新刊や、広島ではまず会えない作者を呼んでのイベントを楽しみにしている(た)し、土門蘭のイベントを持ち込んだりもした。
書店として様々な雑誌で取り上げられ、最近では中国新聞の「緑地帯」内で『令和の個人書店論』と題して全8回に分けて書店、本にまつわる話を展開している。
広島、中国地方の文化的中心地の一つと言っても差し支えない、と個人的には思っている。
清政さんは物静かで、眼鏡をかけていて、シャツやカーディガンが似合ってて、と頭の中で思い描く書店員らしさを持っているが、会話の中でどこか鋭利でとんがったところを感じることがあった。ロックと言い換えてもよい。
「一人で書店をやっている人が(かならずしも)、ほっこり系の「いい人」なわけがない。〈中略〉どこかアウトロー気質というか「はみ出し」気質がある」(朝日新聞による本の情報サイト『好書好日』里山社 清田麻衣子さん寄稿文より抜粋)
言い得て妙である。
僕がとんがっているとかロックと感じる部分は「はみ出し気質」なんだ。そしてどこか憧れる部分もそこだ。
そんな清政さんには、テーマ指定なく寄稿を依頼した。この御時世だから表れる思いもあるかなと。
文章には魂が表れると言うが、どんな原稿が出てくるのか、どんな選曲なのか、本当にロックなのか、みなさんと一緒に楽しみたいと思います。
(text by いしなかしょうご)
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昨年から声をかけてもらっていながら書けていなかった、みんfav。遅筆というのもあるが、ここ数年、音楽を聴く姿勢が変わってきたということもあり、正直言って何を書けば良いか分からなかった。B’zでJ−POPに目覚め、小室ファミリー、ゆず、Dragon Ashなど、時代のヒットソングを、CDTVやMUSIC STATIONなどの音楽番組で知り、MDで聴いていた青春時代。大学進学後は、音楽に詳しい友人経由でくるり、キリンジと出会った。社会人になってからはspecial othersにハマったり、野外フェスだって人並みに経験した。
今はどうだろう。随分前にTVを手放し、CDを買うこともなくなった。もともとPC作業中のBGMとして音楽を聴くことが多かったが、ラジコプレミアム加入後は、オールナイトニッポンやグルーブライン、ラジオ深夜便を聞くようになり、最終的には集中力が切れ、無音で作業するようになった。このようにあまり語れるような音楽体験のない自分でも、「この御時世だから書けるものもある」と、いしなかさんは優しく背中を押してくれる。いいから早く書いてくれ、と。それではせっかくなので、以前からずっと気になっていたことをこの場で考えてみたい。それは日本人であれば目を背けることができない問題。「人は何歳から演歌を聴くようになるのか」。
演歌。日本の心。多くの日本人が演歌を聴くとき、それはNHK紅白歌合戦で間違いない。歌う前に深々とお辞儀をする和装のソロシンガーたち。なぜかけん玉のギネス記録に挑戦しながら歌う者もいれば、大型アトラクションの一部となりながら歌う者もいる。カラオケが趣味だった祖母は大晦日、画面越しのロックバンドの演奏に顔をしかめる一方、贔屓の演歌歌手の出番には、周りの会話を遮断させてまで、その歌声に聴き入っていた。自分もいつか演歌を嗜む日が来るのだろうか?ちなみに今年70歳を迎える、一番身近な年配者である父の場合はどうだろう。若かい頃には洋楽を聴き、趣味でギターも演奏していた。B’zの存在を教えてくれたのも父だ。現在は母の影響で、ジャニーズ事務所のアイドルソングを楽しんでいる。未だに演歌を聴く気配はない。
そもそも演歌とは何か。「演歌 wiki」で検索してみる。ウィキペディアでは、演歌についての詳細な記載があるが、冒頭でいきなり衝撃の事実に行き当たった。以下引用する。
1960年代半ばに日本の歌謡曲から派生したジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な歌曲の分類の一つである。当初は同じ音韻である「艶歌」や「怨歌」の字も当てられていたが、1970年代初頭のビクターによるプロモーションなどをきっかけに「演歌」が定着した。なお、音楽理論的には、演歌の定義はない。楽曲のほとんどのリズムは、ロックであり、ジャパニーズ・ソウル(Japanese Soul Music)の異名を持ち、バラードでもある。
艶や怨の当て字も興味深いが、「音楽理論的には、演歌の定義はない」というこの一文。「なお、」という接続詞からページ作者のドヤ顔感も伝わってくる。つまり演歌とは、理論立てて説明することはできないが、民謡に通じる音階、小節というビブラートを取り入れた歌唱法、海・酒・涙・女など特定のキーワードを取り入れた歌詞、それらを総合して成り立っている。以下引用を続ける。
1960年代以降に洋楽のロックや日本製のフォークやニューミュージック、アイドル歌謡などを聴いていた戦後生まれの世代が中年層になっても演歌に移行せず、ロック・フォークなどを聴き続けている者が多いことから、演歌ファンの高齢化が顕著になっている。
この記述は1950年生まれの父にも当てはまる。ちょっと違う方向へ向かってしまったが。このまま演歌は縮小してしまうのだろうか。いや、ここで先ほどの一文を思い出してほしい。「音楽理論的には、演歌の定義はない」という事実を。ロックであり、バラードであることを。そして「演歌」という言葉には、もう一つの知られざる意味がある。それは、明治時代に政府への批判を歌に託した「演説歌」の略称だということ。全てのソースがウィキペディアというのはご容赦いただくとして、演歌とは体制や圧力へ対してのプロテストソングでもあった。
ここで今、この時代に新たに生まれ変わった、演歌界を代表する一人の歌手が思い浮かぶ。kii。今年デビュー20周年を迎えた氷川きよし、その人だ。kiiはレコード会社の公式ウェブサイトで「好きな歌」について次のように語っている。
心ある歌、メッセージ性のある詞、伝えたいことが伝えられる歌はジャンルを超えて好きです。しかし日本人として日本の歌「演歌」を歌わせて頂いている思いです。
この言葉を体現するように、最新アルバム『Papillon(パピヨン) – ボヘミアン・ラプソディ』では、ロックやバラード、さらにはEDMなど演歌の枠を飛び越えた多様な楽曲に、ストレートなメッセージを込めた歌を歌っている。ある曲は力強く、ある曲は妖艶に。従来の演歌歌手のイメージを180度覆す意欲作だ。特に表題曲にもなっているQUEEN『ボヘミアン・ラプソディ』の日本語カバーでは、トップスターでありながら、ひとりの人間として苦悩を抱えたフレディ・マーキュリーの生き様に共鳴し、一際強い気持ちが込められている。
旧来の価値観から自分らしさを解放したその姿は、多様性を持って生きる現代の人々に勇気を与えている。また、音楽を楽しむ者に年齢や性別を問うこと自体が愚問だったということにも気づかされる。氷川きよしがアップデートしていく演歌。近い将来、ウイキペディアにも追記更新されるだろう。
- No.1
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Papillon(パピヨン)/氷川きよし
- No.2
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キニシナイ/氷川きよし
- No.3
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限界突破×サバイバー/氷川きよし
- No.4
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Love Song/氷川きよし
- No.5
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碧し/氷川きよし
- No.6
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おもひぞら/氷川きよし
- No.7
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ボヘミアン・ラプソディ/氷川きよし