音読

スタンド30代

論語に「三十而立」とあるように、孔子は「30歳で独立する」と言いました。
とは言え、きっと最初はうまく歩けないし自信をなくすこともあるだろう30代。
転職、結婚、出産と、覚悟を決めることが多くていろいろ微妙な30代。
でもきっと、その人の思想や哲学が純粋に表に出るだろう30代。
『スタンド30代』とは、そんな今を頑張って生きる30代を、30代になったばかりの土門蘭がインタビューする、「30代がんばっていこうぜ!」という連載です。

書き手:土門蘭プロフィール

【ホナガヨウコさん】自分が気持ちよく踊ること、それがそのまま正解になる。

■話し手

ホナガヨウコさん

ホナガヨウコ1

 

■プロフィール

ホナガヨウコ

ダンスパフォーマー/振付家/モデル。
『ホナガヨウコ企画』主宰。 実験的でありつつキャッチーでポップな振付と、相反する様に荒々しく激しい自由なソロダンスに定評がある。
2001年頃から音楽と身体をセッションさせて情景を描き出す『音体パフォーマンス』という独自のスタイルで、企画、脚本・演出、振付を行い、楽器の生演奏を多く取り入れたライブ感のある舞台作品を発表し続けている。
また、TV・CM・MV・ライブ等において、ダンスの振付、及び所作や演技の演出・ポージング指導で多くの作品に携わる。その他、ファッションモデルや役者としての出演、音楽・映像・イラスト・写真・衣装の制作等、その活動は多岐に渡る。
不定期に行われるダンスワークショップでは、野外や美術館で行ったり、親子支援や企業研修として等、幅広い層に向けて身体の表現力を育てる活動に貢献している。

 


 

ホナガさんと初めて出会ったのは、2年前の夏。
大学時代の友人の奥さん「ヨウコさん」として知り合った。

 

その時、彼女はまだ赤ちゃんの娘さんを抱っこしていて、私は二人目を妊娠していた。
「かわいいですね」とか「うちももうすぐ生まれるんです」とか話をしながら、わたしは「なんだか不思議だな」と思っていた。

 

初対面にも関わらず、自分がホナガさんといるととてもリラックスしているのだ。
割と緊張しいのわたしがそのようになるのは珍しかったので、不思議だった。
なぜだろう。彼女が笑顔だからだろうか? フレンドリーだから? 話し上手だから? そのどれものような気がしたし、そのどれでもないような気がした。それはこれまでちょっと経験したことのない、不思議で素敵な感覚だった。
わたしは「この人が好きだな、もっと一緒にいたいな」と思っていた。

 

別れ際、彼女がタクシーに乗る寸前に、わたしに向かってさっと手を出してくれた。反射的にわたしも手を差し出す。人と握手をするのは久しぶりだった。

 

手を握った瞬間「なんて気持ちのいい人なんだろう」と思ったのを覚えている。
そして、ああそうかとわかった気がした。
彼女は「感じがいい」というより「気持ちがいい」人なのだ。メンタルに「いい」のではなく、フィジカルに「いい」。フィジカルを通してメンタルを癒すような「気持ち良さ」だと思った。

 

彼女がダンサーだと知ったのは、その翌日である。
ダンサーとして以外にも、モデルや役者として作品に出演したり、振付や演出などで動きを作ったり指導したりしているという。
彼女はやっぱり「からだ」にまつわる人だったんだ!
そう知って、わたしはとても嬉しくなった。

 

そして、彼女の踊りをインターネットの動画で見た。
観ていると自然と涙がこぼれた。

 

 

この涙は何なんだろう?
なぜ自分が泣いているのかよくわからなかった。
悲しいのでも、切ないのでもない。なんだか安心するような、懐かしいような、嬉しいような気持ちだ。でもなぜそんな感情が生まれるのか、自分がよくわからなかった。

 

それでいつか、ホナガさんと話をしてみたいと思った。

 

もし話ができるなら、テーマは「からだ」についてにしよう。
そのからだの気持ち良さはどこから来るのですか?
ホナガさんは自分のからだや人のからだに、どのように向き合っているのですか?

 

その問いに答えてもらうことができたら、自分がなぜホナガさんといてリラックスしたのか、彼女の踊りに泣けてきてしまったのか、わかるのではないかと思ったのだ。

 

二度目に会ったホナガさんは「インタビュー、少し緊張しています」と言って笑った。
わたしも少し緊張していた。
だけどその緊張すら、わたしには気持ちのいいものだった。

 


 

ホナガヨウコ2

 

 

ホナガ
インタビューに入る前に、ひとつお話しておきたいことがあって。
土門
はい。
ホナガ
私は過去にたくさんインタビューを受けてきたんですけど、何て言うのかな……割と事実だけを聞かれて終わることが多かったんです。その事実に、編集者の解釈がプラスαで入りますよね。そうしてできあがった記事を見ると、自分の意図があまり伝えきれていなかったなって思うことが多かったんですね。
でも振り返ってみたら、私が「こうで、こうで、こうです」って、事実だけを話してきたからそうなったんだなって思ったんですよ。
土門
なるほど。
ホナガ
この間、土門さんが取材する前に質問のメールを送ってくださいましたよね。まずそのテキストの多さにびっくりしたんですけど(笑)。
土門
あはは。すみません。ホナガさんの「からだ観」についてうかがいたい、という内容で送らせていただきましたね。つい長くなってしまって(笑)。
ホナガ
いえいえ、そのメールがすごく丁寧で、嬉しかったんです。
それで、土門さんのメールを読んで、もう一度自分に問うたんですね。これまでのインタビューで自分が納得する形にできなかったのはなぜだったんだろうって。
それで思ったのは、自分の軸がはっきりしていなかったから、いろんな話をしすぎて散漫になっていたからかもしれないなってことだったんです。
土門
はい、はい。
ホナガ
これまで生きてきた30年以上の時間について、わーって喋ることはできるんです。私はおしゃべりなので場も盛り上がるんですけど、あとで考えてみたら、事実を並べているだけで一貫している軸がないなと思いました。
それで、土門さんの質問に対して、また考えたんです。そしたらここで、初めて軸がはっきりしたんですよ。
土門
えっ、そうなんですか。それはすごくうれしい。
ホナガ
私のほうこそ本当に感謝したくて。今日はそれを紙にまとめてきたんですよ。カンペにして見ながら話そうかなって。
土門
うわぁ、そうなんですね。ありがとうございます。
ホナガ
いえ、こちらこそ。土門さんには振り返る機会をもらって感謝しています。

 

言われた通りに踊れなくて、ダンスを辞めた過去

ホナガヨウコ3

▲11/24に京都精華大学で行われたこども向けワークショップ・身体表現教室「おそとでダンスゲーム!」にて。

 

ホナガ
まずいつも聞かれるのが、「小さい頃から踊っていたんですか?」ってことなんです。答えとしては「踊っていました」なんですけど、実はすぐに辞めているんですよ。
「あそこで辞めずに続けていたら、今とは違う踊りになっていたかもしれないですね」と言っていつも終わっていたんですけど、なぜ辞めたのかということを掘り下げていなかった。多分それは、それ以上のことを言いたくなかっただけなんですね。
 
それで、「じゃあわたしは何で言いたくなかったんだろう?」って考えたときに、わたしは「踊りが楽しくなかったから辞めたんだ」ということに気づいたんです。
土門
え、そうなんですか。ちなみにその頃は、どんな踊りを?
ホナガ
5,6歳のときに、スコティッシュダンスっていうスコットランドの民族の踊りを習っていました。母がフォークダンス協会に入っていたつながりで、知人が先生をやっていて、それで「やってみる?」ってなったんです。
男性がタータンチェックの巻きスカートを履いて、女性は白いふりふりのブラウスを着て。バグパイプのぼわぼわーって音に合わせて、フェンシングみたいな剣を十字においた上をぴょんぴょん跳ねるっていう踊りなんですけど、それを習っていたんです。だけど、小さい頃だから当然そんなにうまくなくて、「小さいのにがんばってかわいいね」くらいの感じでやっていて。
土門
へえ。
ホナガ
スコティッシュダンスはヨーロッパの踊りなので、基本はバレエなんです。だからバーレッスンとかターンの練習もやっていて。「脚を広げて」とか「お尻やお腹を引っ込めて」とか、先生にからだを触られて直されるっていうことが多かったんですね。それが、幼な心にいやだったんです。
まだ6歳だから叱られ慣れていないっていうのもあったんですけど、いきなり先生に「こうじゃなくてこうだよ」って言われることに、違和感を覚えていたんですね。身体表現なのに、「正しい」「間違っている」というのがあるのがいやだった。今の自分のからだの状態を、初めて否定された経験でした。
それで、お姉ちゃんが小学生になって辞めるっていうので、一緒に辞めたんです。これまでは「ひとりで通うのがいやだから辞めた」って言っていたけれど、多分、楽しかったらひとりでも続けていたんですよね。
 
きっとそのときから、自分は「型にはまった踊り」に興味を持てなかったんですよ。それをコンプレックスに思って、実はネガティブに辞めていた。「続けてたら違ったダンスになったかも」ってさっき言いましたけど、その前にダンスを嫌いになっていたかもしれないですね。
土門
それは、おそらく今につながる、すごく大事なことですよね。
ホナガ
はい、大事なことです。私はそのときから「言われた通りに踊れなかった」んです。
何でその動きじゃないとだめなのか、その踊りを作った人に会えないから理由を聞けないじゃないですか。共感が一切ない中、ただ型の通り踊ることに楽しみを見出せなくて、踊っているという感覚もありませんでした。それでそこで、一旦ダンスを辞めているんです。
土門
なるほど。
ホナガ
でも、私はそのときにバレエの癖がつかなかったから今がある、って思っているんですよ。「普通」のからだの感覚を備えたまま大きくなることができた。だから、よりいろんな人に共感を呼べるような動きができるんじゃないかなっていうのは、ずっと思っています。
土門
ああ、まさに今日、ホナガさんに「からだ観」というテーマでお話を聞きたかったのはそこなんです。ホナガさんの動きって、断絶されていないような気がするんですよ。自分とつながっている感じ。
ホナガ
ああ、そうですね。日常の動きの延長というか。
土門
そうですそうです。プロとアマチュアとか、ハレとケとか、そういう断絶がない。ホナガさんの踊りって、ダンスをやったこともない自分も、もっと気持ち良く動けるのかもしれないっていう、「今の自分」の可能性の広がりを感じるような踊りなんですよね。
ホナガ
ありがとうございます。
だから、私は自分のことをすごく「普通」だと思うんですよ。そこまで技術のあるダンサーではないし、30年以上ダンス一筋でやってきましたっていうことでもない。これまでにダンス以外にめちゃくちゃ浮気していますし(笑)。
それに、小さい頃はすごく内気でおとなしかったんですね。インドア派で、絵を描いたり本を読んだりするのが好きだったから、まわりからも「絵描きになるんじゃないか」と言われていて。それがこんなふうに発展するとは、誰も思ってなかったと思います。

 

訓練することでからだを変えられることに気づいた

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土門
そんな内気だったホナガさんが、ダンスへと進んでいく転機は何だったんでしょう?
ホナガ
高校時代に演劇部に入ったことですね。
通っていた高校が演劇がさかんなところで、プロ志向の子たちが集まっていたんですよ。私はその高校に2期生で入ったんですけど、1期生の演劇部がすでに都大会まで出ていたんです。「高校1年生しかいないのに都大会まで行くなんて、どういうことだろう?」って気になっていて。
土門
へえ、それはすごい。
ホナガ
で、新入生の歓迎会で、演劇部のデモンストレーションがあったんですけど、それを観てものすごい衝撃を受けたんです。
時間にして5分もやっていないと思うんですけど、ぱんって手を叩いた瞬間に始まった劇が、ぞっとするくらいうまかった。みんな本当の女優さんみたいにきれいで、大人っぽくて、立っているだけ、歩いているだけなのにものすごくかっこよくて。それぞれの姿勢、表情、一挙一動が全部、見世物として成立しているというか。
 
私はそれまでそんなからだを見たことがなかったんですね。だから、どうやったらあんなからだになるんだろう?って、俄然興味が湧いてしまって。それまですごくおとなしかったのに、「自分もやってみたい!」って思ったんですよ。
土門
それまではそういうことを全然やったことなかったんですよね?
ホナガ
なかったです。絵を描いたり、本を読んだりして過ごしていましたから。
でもそれって、間接的な表現方法だなって思っていて。何か一個媒体を通して、ワンクッション置いて、自分を表現しているというか。
 
一方で演劇や舞台表現って、バーンって直にきますよね。とても近い感じ。人間のからだそのものが伝達媒体になって、伝えたいことが即、同じ空間で共有できる。それってこんなにもダイレクトに感動を産むものなんだなってことが、自分にとってすごい発見だったんです。「こういう方法があるんだ!」みたいな。
 
それがオリジナルの現代劇だったっていうのも大きかったですね。古典とかファンタジーではなくて、リアルな設定なのにからだだけは非日常っていう。そういうのを初めて観たんです。
土門
役者も設定も自分に身近だからこそ、「なんでこんなことができるんだろう?」みたいな。
ホナガ
そうそう。つまり、その演劇部はわりと体育会系だったんです。きちんとトレーニングや訓練をしていたからそういうことができた。その、からだを作るメソッドを学ぶのがいちばん楽しかったですね。自分も先輩みたいに「魅力的な動きができるようになりたい」と思っていました。
土門
ここで「からだ」への興味が湧いたんですね。
ホナガ
はい。このとき、自分のからだを好きになりたい、思うように動かしたいという向上心が生まれたんですよね。それから演劇部に入って、トレーニングに夢中になっていきました。
私はもともと声が小さくて、足も遅かったんですよ。でも鍛えたら声も大きくなったし、足も速くなったんです。50mを12秒で走っていたのが(笑)、トレーニングしたら7秒台までいって。
土門
えっ、それはすごい! めちゃくちゃ変化してますね。
ホナガ
「俳優訓練術」……これはわたしの大学の卒論のテーマでもあるんですけど、どのように訓練すれば舞台映えするからだになるか、その日々のトレーニングがすごくおもしろかったんです。
 
多分、「自分はやせっぽっちで何もできない」って思い込んでいたんですね。からだに自信がなくて、内向的で。それは5歳のころのダンスレッスンも影響しているかもしれないです。ターンができないとか、お尻が出過ぎてるとか、怒られていたことが。
でもそこで、「そうか、訓練すればいいんだ!」って、からだを変化させられることに気づいたんですよね。がんばったらがんばった分だけ変化していって、「やればできるんだ」っていう手応えを初めて感じました。
土門
そこから、からだをどんどん使うようになっていったんですね。
ホナガ
そうです。からだの変化とともに性格も明るくなったし、すごく変わりました。だからターニングポイントはこの演劇部ですね。
最初は役者をやっていたんですが、そのうち、舞台監督や脚本や演出、振付もやるようになりました。単純に興味があったからだったんですけど、自分はそっちのほうが向いているなっていうのはなんとなく思っていましたね。
「言われた通りにできない」っていうのはここでもあって、決められたセリフを喋ったり、みんなと揃って踊るシーンが苦手だったんですよ。だからこそ、自分だけ外に出て舞台監督をやったり振付をするほうが自然でした。そこで客観性や、俯瞰的な視点を持つ癖は身についたように思います。
土門
ああ、そこで振付に出会ったんですか。
ホナガ
はい。でも一個だけ役者として得意なことがあって、それはエチュード(即興演劇)だったんですよ。型にはまるのが苦手な私にとって、それは特に好きな表現方法だった。演劇を続けるうちに、この得意分野を活かせる舞台表現って他にないのかなと考えるようになりました。
それでパフォーマンスとかダンスとか、より抽象的な表現にも興味を持つようになって、演劇以上の新しい出会いを求めて、前衛芸術について調べたりするようになりました。

 

ひとりひとりの踊りがあって良い「一人一派」という考え方

ホナガヨウコ5

 

ホナガ
で、大学に入って、1年生のときにいろんな授業をとってみたんですね。映画とか、小説とか、音楽とか。その中にロシアアヴァンギャルドっていう授業があったんです。
土門
ロシアアヴァンギャルド。
ホナガ
ロシアに興味があったというより、さっきも言ったように前衛芸術に興味があったんですよ。それに出会ったとき、何十年も前にこんな新しいことやってたんだ!っていう驚きがありました。その時代、斬新な表現の革命がいたるところで起きていたんですね。
その中にはもちろん舞台芸術もあって、私は卒論のテーマにロシアの「身体訓練術」を選びました。ロシアの当時の授業の記録を訳して自分のからだで実践したり、高校の演劇部の子たちにも協力してもらってどういう変化があったのかをレポートに書いたり。
土門
うーん。ロシアの人がどんな訓練していたかなんて、全然想像つかないです。ホナガさんはそこでもまた、違うトレーニング方法を模索していたんですね。
ホナガ
そうなんです。自分のからだを使って、いろんな訓練を実験していましたね。
 
大学時代はこれ以外にも新たな大きな出会いがありました。小沼純一さんという音楽評論家の方の授業で、「空間における音楽性」というテーマを受けたことがあったんですよ。そこで見たのが、「山海塾」っていう舞踏カンパニーの映像だったんです。
それまでいろんな舞台を観てきたけれど、その映像を観たときに、すごい衝撃を受けました。初めて観たときの感想が、「この人たちみんな人間じゃないのでは?」で。まるで天界人みたいな、空からやってきた神聖な生き物みたいに見えたんです。
セリフもないし、大道芸的なアクロバティックであるということでもない。単純に、右から左へ動くだけなのに、そのゆらぎが人のものに思えないんです。空気や木々のざわめきが手の動きで表現されている。何も話していないのに、ただきれいで泣けてくる。
土門
すごいですね。それは。
ホナガ
それで、速攻で舞台を観にいったんです。小石や砂が敷き詰められた中を、すり足しながら移動していくだけのシーンなんですけど、本当に風を受けているような感じで、動く美術品みたいでした。
これは今まで出会ったことのないからだだ、と思いましたね。それまで私はずっとトレーニングをやってきて、海外のエクササイズを調べたり、プロの劇団の合宿でトレーニング法を勉強したりしてきたんですけど、彼らのようなからだはまったく見たことがなかった。だから俄然興味がわいて、すぐ夏合宿に申し込んで勉強を始めたんです。
土門
それは、今まで参加した合宿と全然違いましたか?
ホナガ
違いましたね。「こんなに何も決まってないんだ」っていうのがまず衝撃でした。呼吸法とか、テクニック的なものは一応あるんですけど。ここに来たらみんながあんなふうに踊れるわけでもないんだなってことがわかったんです。
まず、「めちゃくちゃ力んでるね」って指摘されたんですよ。私、全然力を抜くことができなくて。
土門
へえ。
ホナガ
それまですごく体育会系だったから「全力でやればどうにかなる!」っていう考え方だったんですよね。常に「どうやったらあんなふうに動けるんだろう?」って考えるのがくせになっていて、観察力もついていたし。
土門
はい。これまでにも「訓練」っていうキーワードがよく出てきていますよね。
ホナガ
それまでは、「全力でやることが一番いい」と思っていたんです。だから、力を抜くことができなかった。ああ、自分にはこんな弱点があったんだ、だから惹かれたんだって思いました。
土門
ちなみにそこでは、どんなことを教わったんですか?
ホナガ
考え方とか、意識の持ち方ですね。
たとえば通常は、自分のからだには中身が詰まっていて、外側は空気である、と思っていますよね。でもそれを逆に考えてみようって言われたんです。自分のからだは空気しか入っていないからっぽの皮の袋で、外に中身が詰まっていると。
土門
へー! おもしろい。
ホナガ
「自分のからだには中身が詰まっている」って思うと、自分の意志で動いているふうに感じるんですよね。でも、自分がからっぽの皮袋だって考えた瞬間、まわりによって動かされる自分に変わるんですよ。すると自意識が消えるんです。風に押されて動くような、無我になる感じ。
それを私はやったことがなかったんですね。なぜなら演劇って役があるし、部活の中でも役割があるから、自意識のかたまりだったんです。その自意識を一度抜いて、風になったり木になったり花びらになったりする……なんてきれいな世界なんだろうと思いましたね。
 
で、自分もやってみようと思って、自分という皮袋の中を波や風が通っていくイメージをしたりするんですけど、全然からだが動かない。今まであんなに鍛えていたのに、それが一切役に立たなかったんです。 そのときようやく、「からだと自分」ということを見つめ直すようになりました。自分はこれまでずっとかっこつけていたなって。良く見せよう、舞台映えさせようってことばかりに注意がいって、無理をしていたんだなって。
土門
ああ、ずっと「理想」を追い求めていたのが、「今」の自分に向き合う視点を持ったというか……。
ホナガ
そうです。
型ではなくて、今の自分のからだとじっくり向き合うこと。自分のからだをベースにして、無理なく変化と発展を感じるスタイルに、そのときすごくしっくりきたんですよね。
そこで、ひとりひとりの踊りがあって良いという「一人一派」という考え方に出会って、めちゃくちゃ救われました。
土門
からだを矯正させられることがいやで辞めてしまった幼少期と、からだを訓練することで変化させてきた十代を経て、そこにたどり着くという……。
ホナガ
はい。それは、「自分にはできないことがある」って認められた瞬間でもありましたね。そして「できないこともあるけれど、できることもある。だから、自分の踊りをすればいいんだな」っていうことがわかった瞬間でした。
 
「暗黒舞踏」というと「怖い」とか「おどろおどろしい」っていうイメージがあると思うんですけど、本質の思想は本当にすばらしいんです。もちろんいろんな流派があるので、私が得たものは一部でしかないかもしれないですが、肌感覚で学んだことはとても多かった。
 
今でも、私の踊りの基盤はここにある、って思っています。

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