音読

スタンド30代

論語に「三十而立」とあるように、孔子は「30歳で独立する」と言いました。
とは言え、きっと最初はうまく歩けないし自信をなくすこともあるだろう30代。
転職、結婚、出産と、覚悟を決めることが多くていろいろ微妙な30代。
でもきっと、その人の思想や哲学が純粋に表に出るだろう30代。
『スタンド30代』とは、そんな今を頑張って生きる30代を、30代になったばかりの土門蘭がインタビューする、「30代がんばっていこうぜ!」という連載です。

書き手:土門蘭プロフィール

【岩崎達也さん】いちばん幸せだったあの時よりも、絶対にもっと幸せになってやろう。

「働く」とは、「はた」を「らく」にすること

土門
リクルートに入ってからはどうでしたか?『いい会社』に入るというゴールに辿り着いたわけですけども。
岩崎
さっきも言ったように、もともと僕は「安定していたい」「お金欲しい」ばっかり考えていて、「こういう仕事がしたい」っていうのが全然ありませんでした。 でも、リクルートに入ってから、本当にいろんなことを学んだんですよね。
中でも一番でかかったのは、「働くとは何か」ってことが腹落ちできたことです。 「働くって言うのは、その字の通り、『人』が『動』いて、『はた』を『らく』にする」ってことだと思うんですよね。「傍(はた)」、つまりそばにいる人のことを「楽」にしてあげることが「働く」ってことなんだって、ある日ふとわかったんです。 例えば僕が土門さんを手伝って楽にしてあげる。そしたら土門さんは「ありがとう」って言ってくれますよね。そんな、シンプルで当たり前な仕事の基本が、すとんと腑に落ちて。みんなその行為にお金を払っているんだなってことに気づいたんですよ。

それは、「自分がこれまで求めてきた『安定した仕事』とは何か」、つまり、「自分にとっての理想の働き方って何なのか」がわかった瞬間でもありました。 僕はずっと「お金をもらう」ことを先に考えてたんだけど、「はたを楽」にし続けられたら「お金」があとからちゃんと発生する。つまり、「『安定した仕事』をしている状態とは、いつどこにいてもはたを楽にできる人であることだ」ってことがわかったんですよね。

自分の「好き」のエネルギーが信じられるようになった。

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岩崎
あと、リクルートで学んだことで二番目に大きかったのは、「だいたいのことって本気出したらできんねやな」ってことでした。
リクルートには、「成功体験をさせる仕組み」っていうのがあるんですよ。思考や行動がすごく素晴らしいのに、たまたま結果が出てない人とかいるじゃないですか。そういう人をちゃんと見ていて、例えば売上成績で一番をとらせて、みんなで自信をつけさせるっていう仕組みが、社内にちゃんとあったんです。想いと行動力があれば、自分ひとりではできないこともたくさんの人を巻き込んで、できてしまう仕組みがある。 そこで僕も自信をつけさせてもらったし、人生における「自分の目標」と「会社の目標」をうまく同じラインに置くやり方を教わりました。
そうすると、仕事を頑張ることが、結果的に自分を幸せにすることになるんですよね。それができたのは幸せだったと思います。
土門
なるほど、それは本当に幸せな経験だと思います。若い内に仕事への姿勢が健全に確立すると、成長も早いし、何より働くことが単純に楽しくなりますよね。
それでも、リクルートを退職したのはなぜだったんですか?
岩崎
4年目の会社の夏休みに、ひとりで初めてニューヨーク旅行に行ったんですけど、そこで、リクルートを辞めた同期が映画監督になるために勉強をしていたんですね。それで、そいつが住んでいるシェアハウスに遊びに行ったんですが、そこには自分がやりたいことをとにかくやってる若者が大量にいたんですよ。決してお金持ちではないけど、みんなすごく楽しそうに、幸せそうに生きていて。 そのとき「ああ、こういうふうに生きたら幸せだろうな」ってすごく思ったんです。
で、日本に帰って満員電車に揺られながら「あ、こっちじゃないわ。俺いたいのってあっちだわ」って思って。 その時、「リクルート辞めて、好きなことやろう」って思いました。
土門
リクルートでの仕事は「好きなこと」じゃなかった?
岩崎
うーん、リクルートが嫌んなったとかそういうんではまったくないんです。仕事も楽しかったし。逆に、リクルートのおかげで自分の「好き」のエネルギーが信じられるようになって、次のステップに行ったっていうのが正しいですね。

 

年をとると、夢みたいなことを言えないじゃないですか。「大人になれ」とか「現実も見ろ」とか言われて、諦めてうまく折り合いつけることが大人なんだって学びますよね。野球で言ったら、本当はメジャーリーグ行ってホームラン王になりたいのに、「プロ野球選手になりたい」で止まったりとか。本当はTCC賞獲りたいのに、「自分が納得いくコピー書けたらそれでいい」って言ったりとか。夢破れて傷つかないために、夢の高さを調節するみたいな癖がいつの間にかついてしまう。

でもリクルートで仕事してたら、夢みたいなことも「できる」って思っちゃったんですよね。自分の「好き」のエネルギーがあれば結構何でもできる、だからもう、夢の高さの調整みたいなことはしなくていいや、思い切りやろうって思ったんです。

 

それでまずは、25歳の時にマンションを購入しました。人生最大の買い物です。東京の中古マンションを購入して、好きなように思い切りリノベーションして。そしたらそれが、ananのリノベーション特集の表紙になっちゃった(笑)。自分たちにとって心地良い空間にできたことと、それがまわりの人に褒められたことで、すごい達成感を得ることができたんですよ。

さらに、家を買ったタイミングで物欲をとことん爆発させました。賃貸とは違って自由にできるわけだから、「こんなの置きたい!」「こんな雰囲気の物が欲しい!」って雑貨を集めまくっているうちに、「俺、雑貨もすごい好きだし、雑貨屋できんじゃねえかな?」って思って(笑)。いわゆる若気の至りで根拠なき自信だったんだけど、そこで「よし、雑貨屋をやろう」って決めちゃったんですよね。

 

で、リクルート退職前の有給消化中に、京都で雑貨屋作りを始めたんです。それが、マガザンキョウトの前身であるBuddy toolsという店です。思いのほか開店までに時間とお金がかかって、リクルート退職後に雑貨店を友人に任せながら一年くらい楽天にも在職したんですけど、そこでのビジネス英語を使ったwebやマーケティングの仕事も、全部雑貨屋に活かしてやろうって一心でやってましたね。

 

ただ、そのときは雑貨が自分の好きなものって感じだったけど、今は「好きな人と、好きな場所で、好きなことをする」っていうのが自分のやりたいことだってわかったんです。それが僕の「好きなこと」で、僕の「軸」。
今やっていることはすべて、その軸を中心にピボットした結果で、だから僕はロフトワークにいるし、マガザンキョウトをやるし、トナカイサインズをやってるんです。

「今日死んだとしても、俺は幸せだな」と毎日思いたい。

土門
岩崎くんは以前、「よく死ぬときのことを考える」って言ってましたよね。それは今でもそう?
岩崎
うん、考えますね。 僕、野球ができなくなったときに、本当に死のうと思ったことがあったんですよ。生きがいがなくなったら、死んでるも同然やんって思って。毎日が、ただ無為に流れていく感じでした。
そのときに、「死ぬって何だろう?」「ここに自分が生きているっていう、その感覚がなくなったら、どういうふうになるんやろう?」って、自分なりにずっとぐるぐる考えてたんですよね。
そうやって考えているうちにふと、自分がいちばん幸せだったときのことを思い出したんです。それはやっぱり「野球で成果を出せたとき」だった。それを改めて思い出したとき、あのときの自分より、絶対もっと幸せになってやろうって思ったんです。

 

ミスチルの『Any』って歌に「今僕のいる場所が、探してたのと違っても、間違いじゃない、きっと答えはひとつじゃない」っていう歌詞があるんですけど、僕それ聴いたとき、「あー、がんばってみよう」って素直に思えて。
ノーモチベーションで受験した大学だったけど、「この学校でめちゃくちゃに頑張ってみるか」って思ったんです。興味持ったこと、とにかく全部やってみようって。

 

今でもよく、死ぬときのことを考えます。自分が好きな人やものに囲まれた人生だったと思えたら、それは幸せなことだって思うから、「今日死んだとしても、俺幸せやな」って思う一日を、毎日過ごせたらいいと思っています。

■岩崎達也の1冊

『走る哲学』為末大(扶桑社新書 2012)
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「あきらめる」ということの捉え方を変えてくれました。他にも、心を整える、という感覚を植え付けてくれた一冊です。(岩崎)

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