音読

スタンド30代

論語に「三十而立」とあるように、孔子は「30歳で独立する」と言いました。
とは言え、きっと最初はうまく歩けないし自信をなくすこともあるだろう30代。
転職、結婚、出産と、覚悟を決めることが多くていろいろ微妙な30代。
でもきっと、その人の思想や哲学が純粋に表に出るだろう30代。
『スタンド30代』とは、そんな今を頑張って生きる30代を、30代になったばかりの土門蘭がインタビューする、「30代がんばっていこうぜ!」という連載です。

書き手:土門蘭プロフィール

【ホナガヨウコさん】自分が気持ちよく踊ること、それがそのまま正解になる。

目指すゴールは「誰か」ではなく、「自分自身」にある

ホナガヨウコ6

 

ホナガ
私、演劇をやっているとき、エチュードが大好きだったという話をしましたよね。なぜこんなに好きなんだろう?って考えたら、「決まっていない」からなんですね。
エチュードって、その時言ったセリフがどんどん正解になっていくんです。「パン!」って手を叩いた瞬間に始まって、何もなかった設定がどんどん自分の言動で決まっていく。その場でひらめいたことをやっていったらそれが正解になるっていうのがおもしろくて。
土門
まさに「決められた通りに動く」とは正反対のことですね。
ホナガ
そうなんです。だからずっと、このエチュードをどこに活かそうって悩んでいたんですよ。
だけど山海塾に出会って、舞踏ってエチュードに近いところがあるなと思いました。自分が今感じたことをそのまま表現することが正解なんだっていう。それでやっと「これだ!」と見つかった気がしたんです。
だから今でも私は、即興で踊るのがいちばん得意なんですよ。振り付けの仕事をこれだけやっておいてあれなんですけど(笑)。
土門
……なんだか今、ホナガさんの踊りを観ていると何で泣けてきちゃうのかなってわかったような気がしました。
ホナガ
あはは。本当ですか?
土門
はい。あの、私もものを書いていてよく思うんですけど、自分の中で「×」をつけるくせがあるなってことに最近気づいたんですよね。理想の自分があるのに、それにたどり着けない自分は「×」だっていうふうに。
だけどあるときふと、「今書いているものは、全部正解なんじゃないか」って思ったんです。だって自分にはこれしか書けないし、これでしかありえないんじゃないか、だから今書いているものは全部「◯」なんじゃないかって、なんだか突然思ったんですよ。それは自分を甘やかすんじゃなくて、自分を受け入れることだなって。
ホナガ
はい、はい。
土門
ホナガさんの踊りを観ていると、それを伝えられているような気がします。自分まで肯定されているような気がして、涙が出そうになるのかもしれない。
ホナガ
ああ、うれしいな。ありがとうございます。うん、「観てると何だか泣けてきちゃうんだよね」っていうのは、よく言われることがあるんです。
 
あの、ダンスってね、実はすごく広範囲の言語を喋っているなって思うんですよ。演劇におけるひとつのセリフがすごく重みを持つのも素敵なことだと思うんですけど、ダンスは伝えたいことが言語化されていないからこそ、言葉の通じない人にも何かを感じてもらえるんですね。そう思うと、こっちも必死で踊るんですよ。
しかも、ゴールがないんです。だから限界がどこかわからない。目の前にいるお客さんに届けるにはどうしたらいいんだろうって、その場その場で今できる精一杯をする。
土門
だから、正解がないんですよね。その場で精一杯差し出したものが答えというか。
ホナガ
そう、解放されているんですよ。自由なんです。
ダンスは誰のものでもないし、正解もない。だからうまい人に教えてもらって、その通りできなくって凹むって、あまり良い経験じゃないなって思うんです。うまく踊れなくて落ち込んでいたら、ダンスを嫌いになってしまう。

 

ホナガヨウコ7

 

ホナガ
これはワークショップでよく使うたとえなんですけど、「高級食材って、意外と調理法がわからなくて困るよね」ってことなんです。それよりも、「自分の家の冷蔵庫にだいたい入っている食材で、料理のバリエーションを豊かにするほうがやりやすいよね」っていう。
それぞれのからだには、それぞれの歴史があって、そのぶんだけ違う魅力がある。自分自身がその魅力に気づいていなかったり、認めていなかったり、向き合っていないだけなんです。
うまくなくても全然いい、今の自分のからだを知ってほしい。その人がその人自身をよく知っていれば、いい見せ方って絶対あるから。それぞれのからだだけ、正解がちがうんです。
 
わたしが振付の仕事で意識しているのは、それを伝えてあげることだなって思っています。衣装のスタイリストさんって、自分の好みじゃなくて、その人がこれを着たら絶対に似合うだろうっていうので着せるじゃないですか。それと同じで、その人らしい魅力的な動きをスタイリングしてあげる、見え方を演出してあげる。振付って、プレゼントみたいな感じですよ。
土門
ああ、振り付けに自分を合わせるんじゃなくて、自分に振り付けが吸い寄ってくるような……。
ホナガ
みんな答えが違うんだから、もっと楽にしていいんだよってことを伝えるようにしていますね。だから私みたいに踊ることではなく、自分が気持ちよく踊ったのがそのまま正解だと思ってほしい。
各々の目指すゴールが、具体的な誰かではなく、自分自身にある。そして、ゴールをどんどん延長していく……そういう考え方のほうが素敵なんじゃないかなって。
 
だから私がワークショップで一番やりたいのは、ダンスを作る講座なんです。自分で自分のために作ったものって、どんなにささやかなことでも忘れないじゃないですか。その体験をすることが大事なんじゃないかなって。
土門
ああ……すごいな。それって人生みたいですね。
ホナガ
うん、生き方みたいですよね。
土門
ちょっと今、泣きそうです(笑)。
ホナガ
あはは。
土門
ゴールを設定しないで、今を肯定しながらも、どんどん気持ち良くなっていこうとする感じ。
ホナガ
そうそう。ゴールを決めた瞬間に、「間違う」ってことが生まれてしまうから、最初から設定しないんです。
つまり即興で踊り続けることって、自分で「これがいい」と決めていくってことだから。その瞬間瞬間の決断が怒涛のように重なっていく、それがすごく気持ちいいんですよね。そしてそのためには、自分を信じないといけない。
 
私の仕事って、答えがあって誰かに認めてもらう職業ではないと思うんです。ずっと答えがないからこそ、自分で自分を認める仕事。だからこそ、「なんか好き」「なんかやだな」っていう感覚的なことに、誰よりも敏感でいなきゃいけないし、「それでも大丈夫だよ」って意志を強く持ち続けないといけない。
土門
はい、はい。
ホナガ
そのためにも「なんでこれが好きか」「なんでこれがいいか」を自分でずっと考え続けることが必要なんですよね。そして、それを人にちゃんと伝えられるようにならないとなって思っています。
私は今ラジオをやっているんですけど、やり始めた理由はうまく話せるようになりたかったからなんです。やっぱり、ダンスだけじゃ伝わらない、言葉でしか伝わらないことっていっぱいあるから。人に自分の思っていることをきちんと伝えられるように、共感をしてもらえるように、言葉で考え伝えることも常に怠けないようにしようと思っているんです。
土門
ホナガさんは、本当に努力家ですね。
ホナガ
ふふふ、努力したがりなんですよ。そんな自分に満足みたいな(笑)。
だけど、「やらなかった」ってことで後悔するのは本当にいやなんです。それよりも「全力尽くしたけどだめだった」っていう方がまだ悔し涙を流せる。だから、自分にできることをやっていきたい。
土門
ホナガさんの話を聞いていると、努力をするっていうのは、がちがちに力を入れることじゃなくて、自分を後押しして自由にするものだなって感じます。頭だけじゃなく、心とからだにつながって、「自信」を生み出してくれるというのかな。
ホナガ
確かに、今回のインタビューで、自分の歴史や行動をひとつひとつ掘り下げていったら、ひとつの軸を見つけたし、それが意外とコンプレックス発信だったなってことがわかりました。今でももちろん悩むことはあるけど、この年までやってきたことがあるからこそ、今の自分があるんですよね。それは自信にしていっていいはずだなって思います。

 

ホナガヨウコ8

 

ホナガさんと話しながら、自分がなぜホナガさんのダンスを観て涙を流したのか、よくわかった気がした。

 

ホナガさんは自分のからだを受け入れている。「誰かの決めた正解」を優先するのではなく、「自分が気持ちいいと思うこと」を慈しんでいる。
不完全な自分を受け入れ、そんな自分の感性を受け入れ、決断していくこと、そしてそれを信じること。

 

彼女の踊りはとてもひとりぼっちなのに、寂しくない気がする。
自分を愛するということはもしかしたらこういうことなのかもしれないなと思った。
わたしはそのホナガさんの姿に、まるで自分まで愛されているような気がしたのだ。

 

「わたしも踊ってみたいです」
そう言うと、ホナガさんは本当に嬉しそうな顔をした。

 

決められた型も、ゴールもない。
ただただ自分のからだと向き合い、気持ち良さを追い求めていく。
そこにわたしだけの答えが、わたしだけのダンスがある。

 

わたしのからだは、どんなふうに踊るだろう?

 

 

■ホナガさんの一冊

ニジンスキーの手記 肉体と神
ニジンスキー 著, 市川雅 翻訳(現代思潮新社)

 

ニジンスキーの手記 肉体と神

 

ニジンスキーはロシアの伝説的なバレエダンサーで、「跳躍したら劇場が揺れた」って言われています。飛んでから降りるまでになぜこんなに時間がかかるんだっていうくらい、高い跳躍だったっていう。
ロシアアバンギャルド芸術期に、いろんな話題作に出て活躍したバレエダンサーなんですけど、彼は晩年に統合失調症になってしまって、精神病院に入ったんですね。この本は、その頃に書いた文章が収められています。
読んでいると、その言葉の切実さがとても響いてくるんです。論理的な頭で考えたものではなく、感情を絞り出して出された言葉たち。もちろん、病気だからこうなったという部分はあるかもしれないのだけど、私には病気だからだっていうふうには思えないんですね。

 

自分は素面でこういう域にはいけないな、と思います。芸術に没頭して、どこか違うところへ行ってしまうような感じに、憧れがあるんですよ。だからと言って、そうなると生活ができないし、そうなりたいかというとそうではないんだけど、自分の中には天才に憧れる何かがあるなって。
即興でばーんと踊るときにめちゃくちゃ気持ち良くなるのは、自分がどっか行ってしまっているときなんです。まるで宇宙みたいな。その瞬間が一番好きだし、見ている人がうわってなるのもそういうときなんです。そういう「無我な境地」を自分の中にも持っていたいなっていう憧れなのかもしれません。
(ホナガ)

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