第15週 ありふれたジャンパー / 豊田道倫2016.11.12
なぜか京都のVOXホールで今まで一度だけこの人のライブをみました。
出演者の中でかなり浮いていて、ドリンクカウンター付近のざわめきが大きくて、ないがしろにされている状況なのに特に気分を害しているようにも見えず、淡々と歌っていました。
私は前の方に座ってこの人の歌を聴いていました。
他の人間には絶対真似できない、独特でギリギリな歌声が癖になる豊田道倫の一曲です。
私が京都を離れ、東京に来て一年が経ちました。
ずっと京都を出たことも 出たいと思ったことも 出るだろうと思ってもいなかった私ですが、勢いで猛烈に遊び、それなりに働き
「まだ来て間もないんです」みたいな自己紹介で出会った人におすすめの居酒屋など聞きまわるうちに いつの間にか秋が来て冬が来て一年経つことに気づきました。
引っ越して間もない頃 大学の頃からずっと繰り返して聞いていたアルバムなのに、この人の歌が京都で聞いたのと全く違って聞こえることに気付き、安心安全な場所から眺めていた曲の世界が今の私の世界になったと実感しました。
大学の頃からずっと繰り返して聞いていたのに、それ以降の作品は聞いていなかったので まとめて購入して、ポストに届いたCDを聞くと、字余りまくってもはや語りになっている歌が聞こえてきました。
「デジタルカメラに映らないものは何だろう
HDレコーダーに撮れないものは何だろう」
どんな殺風景な厳しい世界でも、生身の人間がいるということを
一人一人の生活は生々しくて 千鳥足の人生でもあいがあるということを
夢とか未来じゃなくて、自分という人間がここに存在しているってことを
叫ぶように歌っている。
東京という街は息苦しいのにたまにすごい軽い気持ちになることがあって、この人の歌は私が感じるその気持ちに近くて心地いいのです。
京都で感じるような気の休まる感じ、ずっと居ることが当たり前みたいなゆるさではなく、自分なんて他の人と大して変わらないどうでもいい存在で、でも確かにここに生きているという事実が、逆になんでもできそうな やけくそな軽さを呼びエンドレスリピートです。
友達が増え、相変わらず人と人を結びつけ 結びつけてもらう中で、引き続き あとどれくらいか分からないけど、この街にもっと染まっていきます。
text:船田 かおり