第45週 ミクロボーイとマクロガール / スチャダラパーとEGO-WRAPPIN’2017.6.16
最近スチャダラパーとエゴラッピンの『ミクロボーイとマクロガール』を聴きまくっている。
聴きまくっているので息子が覚えて歌うようになった。
「み、くろぼーい、ま、くろがーる」
と、保育園の帰り道に自転車に乗りながらふたりで歌っている。そこ以外はだいたいうやむや。
さて夏である。
夏であるので、夏服を引っ張り出して水通しした。
水通しして着てみたら似合わなくなっているので驚愕した。
なぜだろう。
昨年の今頃わたしのお腹は大きかった。
妊婦だったのである。それで、ゆったりしているものばかり着ていた。
なんだか全然似合わない、と思い、ゾゾタウンでネットショッピングをして、新しい服をちまちま揃えている。
昨年の今頃お腹にいた子供はもう8ヶ月になり、そろそろハイハイをしようとお尻を持ち上げて左右に振っている(ものすごくかわいい)。
昨年の今頃にはわたしのお腹にいたのに、子供の更新度合いたるや凄まじいものがある。
夜に寝て、夜中に何度か起こされ、寝ぼけ眼で朝起きるともう昨夜よりも大きくなっていてびっくりする。
毎朝「また大きくなった」と言ってる気がする。
上の子だって最近ではもうことわざを覚えて帰ってくるのだ。
「けんかりょうせいばい」とか「うそからでたまこと」とか言っていてびっくりする。
どっちがことわざを多く言えるかの勝負を仕掛けてくるので、こっちだって真剣である。
「犬も歩けば棒に当たる」「瓢箪から駒」「二兎追うものは一兎も得ず」
頭の中にはドラえもんのことわざ辞典をめくる自分の指先がある。
小学生時代の記憶だ。あの頃から知識がほとんど増えていないことにまた驚愕する。
きのう帰ってきた長男は、「なきっつらにはち」と言っていた。
新しいのを仕入れてきたのだ。やるなあ、というと喜んだ。
多分自分が更新するとすれば、夏に更新すると思う。
夏が誕生日だというのもあるけれど、やっぱり夏服というのが大きい。
夏服はぺらぺらとしていて値段が安いということもあって、毎年かなりの割合が入れ替わる。
新しい色を取り入れやすいのもこの時期で、
今年わたしはラベンダー色のスカートを買ってみた。
ラベンダー色がクローゼットにあるのなんていつぶりだろう。
多分10年ぶりくらい。
エゴラッピンを生でみたのもそれくらい前だ。
大学で仲良しだった子とふたりで何かのフェスでみた。
夕方だった。ものすごかった。エゴラッピンのライブは凄まじくよかった。
あのときも、自分が更新されるのを感じた。
思えばあのときは、息子たちと同じように毎日更新していた気がする。
徐々に、その間隔が長くなっている自覚がある。
このあいだ、友人と飲んでいたら
「脳の細胞は一ヶ月で総入れ替えするんだよ」
という話をされた(多分「脳の細胞」で、多分「一ヶ月」だったと思う)。
「一ヶ月前の君と、今の君は果たして同じ人間だと言えるだろうか」
そのときわたしたちは思考実験についての話をしていた。
わたしは「同じじゃないんじゃないかな」と言った。
同じじゃないほうが素敵だと思ったからそう言った。
なんだか夢がある。
今とはまったくちがう人間になれるというのは、夢がある。
そんな彼から、ある日リーゼントにした自撮り写真が来た(普段はもじゃもじゃ天パ)。
美容師さんに「きっと似合うから」とすすめられてやってもらったのだそうだ。
「新しい」と思った。なんだか羨ましい。
その後わたしも美容院に行くと、「ツーブロックにしてみませんか」と美容師さんに言われた。
「やります」とわたしは即答した。
人生で初めてのツーブロックだ。
他人から見たら何でもないことかもしれないが、自分の中ではスリリングな冒険だった。
それにラベンダー色のスカートを合わせるわけだ。スリリングだ。
能年玲奈とのんは、同じ人間であるのに明らかにちがう人間に見えるのはわたしだけだろうか。
わたしは今ののんが好きだ。多分いろいろなことがあったであろう、のん。
そして、今のスチャダラパーもエゴラッピンも好きだ。
「歳とったなあ」ってそりゃあ当たり前で歳はとる。
老いるのは仕方がないけれど、新しくなることはできる。いつでも。
新しく好きな曲ができるとわたしは嬉しい。
耳から入る新しい音が、自分を新しくしてくれる気がする。
text by 土門蘭