第51週 今夜はブギー・バック / tori kudo2017.7.31
フジロックには一度も行ったことがない船田です。
ちょっと、というか大分破天荒な選曲になるので迷いはしたのですが、オザケンがフジロックに初登場だそうですし(言い訳)どうしても・・・という思いでこの曲をご紹介します。
「今夜はブギーバック」自体は知らない人がいない程の名曲ですが、Maher Shalal Hash Bazの工藤冬里がカラオケボックスでオザケンをカバーするという、マニアックかつシュールな動画の存在は、さほど知られていないのではないかと思います。友達に教えてもらうまでこんな動画があると知らず、聞き始めて一年も経っていないのですが、定期的にどうしてもみたくなってしまう妙な中毒性があるのです。。
まず「なぜこの人がこの曲を」という驚きと破壊力。続いて、朗読される詩とトラックの相性が「やばくて笑ける、なのにキマっている」という意外性。どういう発想でこれらの詩をこの曲に載せようと思ったのか(ちなみに、Youtubeでみると詩を全部読むことができます)。
ここまで考えて今はっと気づいたのですが、わたしは「中毒」によってではなく「中和」するために今この曲を摂取しているのかもしれません。
フジロックに行っている友達たちは、名だたるメジャーアーティストたちの演奏、きらきらしたステージやおしゃれで美味しそうな食べ物をインスタグラムにアップしています。テンションが高く楽しそうな写真/映像/コメントの数々に「ほぇー。へぇー。」といいねボタンを連打しつつ、家でおもむろに「工藤冬里 今夜はブギーバック」と検索窓に打ち込んでいる自分がいるのです。まさか、身体が欲していたということではないでしょうか。
皆がSNSに投稿しているフジロックが松坂牛300gステーキのようなものだとすると、どうしても大根おろしのようなものが欲しくなる。バランスが取りたくなる。(どの変が大根おろしやねんというツッコミはさておき)苗場に思いを馳せてしまった後にしっかり地に足をつけ、なんとなく浮ついた気持ちを引き締めて日常の衝撃に耐えうる低姿勢を取り戻さなくてはならない。変わらなければならない。月になってはいけない。
「
今夜のきみは空のメダルのようで
コートの中はひとの形はしているが
凍結されたカードのように空っぽだ
」
↑こうして切り取ってみてみると単純に詩としてかっこいいなあ。
ちなみに私は今の仕事上この時期が一番忙しいので、来年もフジロックには行けなさそうです。がっくし。
Text:船田かおり