第53週 君が誰かの彼女になりくさっても / 天才バンド2017.8.13
初めてこの曲をライブハウスで聴いたとき目から涙がぼろぼろ出たし、
免疫がついた今でも時々うっかり泣いてしまいそうになるのだけど、なんでわたしは泣くのだろう。
果たしてわたしはどちらに感情移入をしているのか?
ずっとずっと君を好きでいる「僕」なのか、誰かの彼女になりくさった「君」なのか。
ずいぶん前からTwitterでフォローしてひそかにファンだった方が小説を発行した。
彼は燃え殻さんという人で、小説のタイトルは『ボクたちはみんな大人になれなかった』という。
今日やっとそれを買った。
最近彼のこの記事を読んだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/181141
「男は昔の恋人を「忘れない」のではない。男は昔の恋人で「できている」のだ」
ほほう、と思った。ほほうと思いながら全部読んだ。
「いい年して恥ずかしいのだけれど、ボクの口癖は「マジかー」だ。
それは最初、彼女の口癖だった。彼女はラーメンがうますぎても、飼い猫が永眠したとメールで知っても「マジかー」と言って笑ったり、泣いたりしている子だった。ボクは彼女が嬉しくても悲しくても、棒読みで言う「マジかー」がツボだった」
「フィッシュマンズのナイトクルージングをエンドレスにかけたまま、クーラーを最強に設定した部屋で、ふたりして裸のまま眠った真夏の夜が懐かしい」と彼は書いているけれど、彼は3.11のときに、今夜眠れない人のために、と言って、Twitterで「ナイトクルージング」のMVをシェアしていた。それも元彼女の成分がなしたことだったのだなあと、しみじみ思った。その素直さがなんだかうれしく、まばゆいもののように見える。
「男は昔の恋人を「忘れない」のではない。男は昔の恋人で「できている」のだ」
でも、女はきっと違っていて、女は今の恋人でできている。
だから、誰かの彼女になり「くさる」のだ。
それでも、くさった「君」のことをずっと好きなのだから、この曲はすごい。
わたしは「僕」に対して、神々しいものを見るような、それでいて母親みたいな気持ちになる。
「あんたはほんとに、やさしい子ねえ」と眉毛を八の字にして言いたくなる。
人は必ず変わっていくのに、自分だけ変わらないものをもつのって怖くないのだろうか。
自分がくさっていく感覚にはならないのだろうか。
だけど、燃え殻さんの文章を読んでいると、これはくさるんじゃなくて発酵したものなのかなと思う。
20年間かけて、やっと内から外に出たもの。
そういうのを見ると、ぐっとくる。
本当によかったね。って、燃え殻さんのことは全然知らないけれどそう思う。
神々しいものを見るような、母親になったような気持ちで。
(文・土門蘭)